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サニブラウン日本選手2人目の9秒台②東京五輪リレーはアンカー?

2019 5/15 07:00鰐淵恭市
リレーではアンカーが予想されるサニブラウンⒸゲッティイメージズ
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東京五輪の切り札に

20歳のサニブラウン・ハキーム(フロリダ大)が5月11日、日本選手としては桐生祥秀(日本生命)に次いで2人目となる9秒台をマークした。来年の東京五輪に向けて、期待の逸材がようやく10秒の壁を突破した。

たぐいまれな才能を持ちながら、中学2年生までは急激な体の成長による痛みから、目立った成績を残せなかった。サニブラウンが全国区になるのは、城西高に進学してからになる。

「原石」に選ばれる

サニブラウンが全国のタイトルをつかむのは、高校1年生の時だ。国体少年B100メートルを10秒45で優勝。その冬には、日本陸上競技連盟が東京五輪でのメダル獲得を期待できる若手として認定した「ダイヤモンドアスリート」の1人に選ばれた。

このダイヤモンドアスリートは、その時点での成績ではなく、将来性で選ばれる。サニブラウンの才能は、すでに高く評価されていた。

そして、その名が広く知れ渡るようになったのは、高校2年生だった2015年の時の活躍からだろう。

陸上の日本一を決める日本選手権で100メートル、200メートルとも2位。高校生がこの両種目で表彰台(3位以内)に入るのは史上初のことだった。それでもサニブラウンは当時、「優勝できると思っていた」と語っていた。それだけ自身の力に自信があったのだろう。

高校2年のときにボルト超え

その力を世界に示したのが、日本選手権の1カ月後にあった18歳未満の選手が集う世界ユース選手権。100メートルを10秒28、200メートルを20秒34という大会新記録で制した。それまでの200メートルの大会記録保持者がウサイン・ボルト(ジャマイカ)だったことから、「ボルト超え」と騒がれるようになった。

さらに、その1カ月後の世界選手権では200メートルで、史上最年少(16歳)で準決勝に進出。その年の国際陸連が選ぶ新人賞にも選出された。世界でも名を知られる存在になり、翌年のリオデジャネイロ五輪では、日本陸上界の顔になるはずだった。

ケガでリオ五輪を断念

しかし、順風満帆とはいかなかった。2016年シーズンも好調を維持しながら、大切なレースを前に試練に立たされた。

リオデジャネイロ五輪の代表選考会だった日本選手権の直前のレースで左大腿部を痛めてしまった。日本選手権へ出場できるかどうかが注目を集めたが、結果は欠場。「(五輪)を断念することになりました」というコメントを出し、初の五輪出場を諦める結果となった。

その後のサニブラウンはケガとの戦いになる。

2017年世界選手権には100メートルと200メートルに出場。200メートルは史上最年少となる18歳5カ月での決勝進出を果たした。それまでの最年少はボルトの18歳11カ月。ここでも「ボルト超え」をやってみせた。

ただ、その決勝で右太もも裏を痛めて、その後のシーズンを棒に振った。2017年秋にフロリダ大に留学したものの、ケガが続き、2018年も満足したレースができなかった。

そして、2019年、ようやくサニブラウンが戻ってきた。それも、前よりパワーアップした走りを身につけてである。

バトンパスは苦手

日本選手として、桐生に次ぐ、2人目の9秒台。順当にいけば、400メートルリレーの日本代表メンバーに名を連ねるだろう。ベストメンバーがそろえば、桐生とサニブラウンが9秒台、そして10秒00の山縣亮太(セイコー)がバトンをつなぐことになる。リオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得した日本にとっては悲願の金メダルへ向け、期待が膨らむ。

サニブラウンはどこを走ることになるのだろうか。

アンカーが妥当だろう。彼の加速力をいかすというのが一つの理由だが、どちらかというと、バトンパスのことを考えるとアンカーしかあり得ないかもしれない。

以前、サニブラウンはバトンパスが苦手だと公言していた。さらに、海外留学中のためになかなか日本代表合宿に参加できず、バトンパスの練習ができない。そうなると、必然的にバトンを渡す役目がなく、受けるだけが役目のアンカーになるだろう。

日本代表が失格に終わった横浜での世界リレーでは、桐生がアンカーを務めていた。だが、桐生はリオデジャネイロ五輪で3走を務めてから、ずっと3走のスペシャリストだった。カーブの走りがうまいだけでなく、バトンパスも安定している。サニブラウンがアンカーに入れば、桐生は3走に戻るだろう。

桐生からサニブラウンへ。2人の9秒台が織りなすバトンパスに夢が膨らむのは、筆者だけではないだろう。