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激しい戦いが起こす奇跡。陸上競技界の信じられない出来事を紹介

2017 7/10 10:25TANANA
2016年夏季オリンピック男子4×100mリレー決勝
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Photo by Denis Rozhnovsky/ Shutterstock.com

限られた時間内で、栄光を目指して激しい戦いが繰り広げられる陸上競技。 極限を越えたプレーの1つ1つは、時に観衆の想像を超える信じられない奇跡を生み出すこともある。 今回は、陸上競技界において起こった数々の奇跡的な出来事などを紹介する。

女子陸上界のパイオニアとして奇跡を起こした人見絹枝さん

国内において女子が陸上競技に参加することに対し、厳しい偏見の目で見られていた時代、人見絹枝さんはそれを跳ね返す奇跡を起こした。
1928年のアムステルダムオリンピックでは、女子選手の陸上競技への参加が初めて認められたが、日本の女子で参加したのは、それまで着実に実績を残していた人見さんただ一人だった。個人種目すべてに参加した彼女は、800mで銀メダルを獲得、歴史に残るオリンピック陸上競技女子メダリスト第1号となったのだ。
しかしその3年後、病に倒れて24歳という若さで他界。彼女は後の女子陸上選手に道筋を作ったという意味で奇跡と伝説を残した。

テレビで活躍中のあのタレントも奇跡を起こしていた!

肉体派タレントとしてテレビで活躍中の武井壮さんも、アスリートとして陸上競技界で奇跡を起こしたことがある。 大学生時代から陸上を始めた彼は、1997年の十種競技国内大会において、競技歴わずか2年半で優勝するなど活躍した。しかし、競技中に大けがをし、一時は「下半身不随」の診断を下される。一生歩けなくなるかもしれない事態に直面したが、本人は強靭な意志でリハビリに励み、その結果わずか2ヶ月で歩けるようになる奇跡を起こした。
その後もマスターズ陸上競技において、40代でリレー競技に出場して優勝するなど、今なお奇跡を起こし続けている。

公務員ランナーが起こした奇跡、川内優輝選手

川内優輝選手は、大学時代に箱根駅伝に出場するなど長距離ランナーとして活躍していた。しかし、大学卒業後は実業団に入らず、地元埼玉県の公務員になった。市民ランナーとしての道を進んだ彼は、決して恵まれていない練習環境において必死に練習を繰り返し、2011年の東京マラソンで奇跡を起こす。
この大会は同年夏に韓国で行われる世界陸上の選考会も兼ねていたが、実業団の有力選手を尻目に何と日本人トップの総合3位でゴール。当時勤務していた県立高校の職員が日本代表として選ばれたということで、国内で衝撃が走った。本番の世界陸上では日本人3位の成績だったが、その後も大きな大会で堅実な成績を残し続けている。

急成長を遂げ奇跡を起こした青山学院大学駅伝チーム

1920年から開始され、100年近くの伝統を誇る大学駅伝大会である箱根駅伝は、毎年ドラマティックな展開が繰り広げられているが、近年奇跡とも言える活躍をしているのが青山学院大学だ。
1977年の出場を最後に何と2008年まで本選出場すらなかった。しかし、ようやく2009年に久々の出場を果たしたのをきっかけに、一気に常連校の仲間入りを果たす。目標に向かうための明確なビジョンを監督が示し、選手もそれに答える形で着実に成長を遂げ、長年のブランクをものともせず、2015年から2017年にかけて3連覇を果たすという奇跡を成し遂げた。

卓越した技術が奇跡を呼んだ!銀メダル獲得の日本代表リレーチーム

2016年のリオオリンピックにおいて、日本の陸上競技チームは苦戦を強いられており、世界との壁を痛感していた。しかし、トラック競技のラストとなった4x100mリレーで最後の意地を見せることになった。
1人1人の走力は世界トップレベルに及ばなかったものの、バトンパスの技術でそれを補う作戦に出たのだ。本番では巧みな技術をいかんなく発揮してややモタつく他国を圧倒し、土壇場までトップのジャマイカチームに肉薄した。
アンカーである世界のトップランナー、ウサイン・ボルト選手に最後は突き放されたものの、日本チームも見事2着でゴールイン。日本男子トラック競技史上初の銀メダル獲得で、世界を驚かせる奇跡を演出したのだ。

まとめ

以上見てきたように、今回挙げた奇跡の数々は決して偶然生み出されたものではなく、地道な練習の積み重ねと強靭な意志を持ち続けることによって起こったものだということがお分かりいただけただろうか。 今後もアスリートたちが巻き起こす奇跡の数々を楽しみに待ちたいものだ。