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インターハイの陸上競技で活躍した歴代選手たち・男子400mH編

2017 6/13 12:41茶色野うさぎ
陸上
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出典 redstone/Shutterstock.com

高校生にとってのスポーツの一大イベントであるインターハイでは、いろいろな競技が開催され、将来有望な選手たちがしのぎを削る。 今回はその中から陸上競技の400mHにスポットを当てて、活躍した選手たちを紹介していく。

男子400mHという競技について

陸上の400mHという競技は、400mの距離の中で10台のハードルを越えるスプリント競技だ。110mより距離は長いだが、ハードルの数は一緒だ。しかし、後半の失速に伴いハードル間の歩数が変わってくるため、右足・左足どちらでも踏み切ることができる器用さが必要になってくる。
世界的にはアメリカを中心としたスプリントに強い国が上位を占めていて、世界記録はアメリカのケビン・ヤングさんが1992年に出した46秒78という記録だ。世界でも46秒台で走ったのは彼だけで、46秒台というのは夢の記録となっている。

1987年のインターハイで準優勝・苅部俊二さん(横浜市立南高)

1987年の山梨インターハイに出場して400mHで準優勝したのが苅部俊二(かるべ しゅんじ)さんだ。高校からハードルに転向した彼だが、すぐに才能が開花して活躍を始める。法政大学に進学後は大学日本一にも輝き、1991年の東京世界陸上にも出場している。
アトランタオリンピック、シドニーオリンピックにも出場し、日本を代表する選手へと成長した。2001年からは法政大学の専任講師に就任するとともに、解説者としてテレビ出演もするなど、活動の幅を広げている。

1989年のインターハイで4位入賞・山崎一彦さん(武南高)

1989年の高知インターハイで4位入賞という結果を残したのが山崎一彦さんだった。もともと110mHの選手だったが、400m走が速いということもあり、高校から400mHに転向して開花した選手だ。
1995年に出場したイエテボリ世界陸上では、日本人のハードル競技として初めての決勝進出、7位という快挙を成し遂げている。これはバルセロナオリンピックの決勝に進出した高野進さんに並ぶ偉業だった。1999年には当時の日本記録となる48秒26という記録を残している。

1996年のインターハイを制した為末大さん(広島皆実高)

1996年の山梨インターハイで当時のジュニア新記録となる46秒27というタイムで優勝したのが為末大さんだ。2001年のエドモントン世界陸上、2005年のヘルシンキ世界陸上の2大会で銅メダルを獲得するという素晴らしい実績を残し、「侍ハードラー」として人気を獲得している。
400m走も速く、4×400mリレーの日本代表としても活躍するなど、陸上界を代表する存在となっていった。2012年に引退後は実業家やタレントとして活躍、2015年にはブータン王国の親善大使に就任し、世界的な陸上競技の普及に尽力している。

2001年のインターハイで3位・成迫健児選手(佐伯鶴城高)

2001年の熊本インターハイで3位に入賞したのが成迫健児(なりさこ けんじ)選手だ。高2で400mHに取り組み始めてすぐに結果を出すなど適応力が高く、その後は400mHの期待の星として注目される存在となっていく。筑波大進学後は3年生の時に世界陸上の代表を経験、4年生の時には47秒93の自己ベストを記録、日本人2人目となる47秒台に突入した。
大学卒業後はミズノに入社し、日本代表レベルで活躍するが、右アキレス腱を痛めるなどケガに苦しむ。しばらく思うような競技ができなかったが、2016年からは東京オリンピックを目指して本格的に活動を再開している。

まとめ

インターハイの400mHで活躍した歴代選手たちにスポットを当てて紹介してみたが、いかがだっただろうか? 400m走るだけでもハードな競技。さらに10個ハードルを越えなければいけないこの競技は難しくタフなスポーツだといえる。 為末さんに続くスターの登場を期待して、今後も応援していこう!