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世界を席巻する長距離王国 ケニアに行ってみた(3)

2017 4/27 17:15きょういち
ケニア,ⒸShutterstock.com
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夜明け前からケニア選手は走り始める

 マラソン、長距離王国として世界を席巻するケニア。高地民族が多く、潜在能力は認められながら、五輪のマラソンには不思議と縁がありませんでした。2008年北京五輪でサムエル・ワンジルが獲得した金メダルが、男女を通じてマラソンの五輪初の金メダルでした。彼らはなぜ金メダルをとれるまでに、成長できたのでしょうか。

強さの秘訣は規律と我慢

 高地で育まれたすぐれた心肺機能や、大きなストライドを生みながら、疲れにくい、細くて長い膝下を持つその脚。そういった身体能力がその強さの秘訣であることは間違いありません。そして、これまでも述べてきたように、貧しさから抜け出したいというハングリー精神があります。でも、速さの秘密はそれだけなのでしょうか。

 「我々には規律と我慢がある」

 5年前、ケニアの首都ナイロビ近郊にある自宅でそう語ってくれたのは、男子マラソンの当時の世界記録保持者だった持つパトリック・マカウでした。マラソンに適した身体を持っていると言われているケニア人から、そんな言葉が出るとは意外でした。

 「ケニア人はあまり練習をしない」

 日本ではそう長く信じられてきました。

 事実、ケニアではかつては1日1度練習するのが普通だったといいます。それが今では、3部練習をこなすようになっています。なぜ、こんなに勤勉になったのでしょうか。

日本育ちが変えた練習方式

 ナイロビから車で北西へ6時間強。ある町の入り口へ行くと、「チャンピオンのふるさと」と書かれたゲートが出迎えてくれます。その町の名は「イテン」。

 標高は2000メートルを超え、ケニアとは思えないほどの涼しさ。この町には、アフリカ大陸の東部を南北に走る大地溝帯(グレート・リフト・バレー)の谷を見下ろす崖の上に土のトラックがあります。

 そのトラックに行くと、男子800メートルの世界保持者であるデービッド・ルディシャら、ケニアのトップ選手の姿がありました。ここは高地トレーニングのメッカで、欧州からも選手が集まります。ここにいた60歳を超えた1人の白人が、ケニア人の強さを語ってくれました。

 「練習方法と我慢を持ち込んだのは、日本から帰ってきた選手たちであることは間違いない」

 そう教えてくれたのは、当時、男子マラソンで世界選手権2連覇中だったアベル・キルイを指導するイタリア人コーチ、レナト・カノーバでした。もちろん、キルイもイテンで練習していました。

 カノーバの話を参考にするなら、ソウル五輪で銀メダルを獲得したダグラス・ワキウリに始まった日本の学校や実業団の選手として走る形態が、一つの流れをつくり、ケニアの選手はその才能を開花していったというのです。そして、2008年北京五輪でのサムエル・ワンジルの金メダルにつながっていきます。

環境が育む強い脚

 そのワンジルを生んだ町ニャフルル。高地にあるこの町を訪れたとき、選手たちの練習をバイクに乗って見学させてもらいました。

 夜があけるかどうかという早朝に、彼らは集まってきます。この時間帯に練習を行うのも日本と同じ。やはり、日本方式が根付いているのかもしれません。

 中には日本の実業団のジャージを着た選手もいます。聞けば、元実業団選手。ニャフルルで練習をしながら、陸上選手としてもう一花咲かせたい思いでいるようです。

 ロングジョッグ。といえども、ケニアの選手たちのスピードは凄まじいもの。それも、彼らがすごいのは、アップダウンがある道を走っていくことです。日本のように平坦な道を走るのではなく、上り下りが細かく続くコースを走ることがケニア選手のスピードの源流にあると言われています。

 そして驚いたのは、足首の強さ。選手たちが走る道は、土の道がほとんど。ナイロビでもない限り、アスファルトの道の方が圧倒的に少ないです。さらにその土の道は、大型トラックの大きなタイヤにえぐられて激しいでこぼこだらけ。バイクに乗ると身体が上下に激しく揺れ、併走するのもたいへんな道です。

 そんな悪路を彼らは平然と走っていきます。日本の実業団のある監督にその話をしたところ、「足首が強いのだろう」と言っていました。そして、「子どものころからそういう道で走っているから慣れている。日本の選手に同じ道を走らせたら、ケガをしてしまうだろう」とも言っていました。子どものころから自然と鍛えられた脚が、彼らの資本であり、スピードを生み出しているのです。