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実業団駅伝の強豪チームを率いる名監督たちをご紹介!

2016 10/12 03:34
マラソン 街
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Photo by Pavel1964 / Shutterstock.com

毎年ニューイヤー駅伝で激闘を演じる実業団の駅伝チーム。今回は駅伝ファンの方へ、ぜひ名前を知っておきたい強豪チームの監督たちを紹介する。

トヨタ自動車・佐藤敏信監督

2015年、2016年とニューイヤー駅伝を連覇したトヨタ自動車の駅伝チームを率いるのが佐藤敏信監督だ。1962年8月15日秋田県出身で秋田県立増田高校卒業後に現在のコニカミノルタにあたる小西六に入社して、長距離選手として活躍する。1992年には北京国際マラソンで3位という実績を残した。
1995年から指導者になりコニカミノルタのコーチ、ヘッドコーチとしてニューイヤー駅伝優勝6回を果たすと、2008年に駅伝の強化を目指すトヨタ自動車の監督に就任。3年目の2011年にはニューイヤー駅伝を制覇するなど、その手腕は高く評価されている。今後はオリンピック選手の輩出という高い目標に向けて強化を進めている。

コニカミノルタ・磯松大輔監督

2000年以降にニューイヤー駅伝で8度の優勝を果たして、21世紀の駅伝王者という評価もされるコニカミノルタを率いるのは磯松大輔監督だ。山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)で1973年12月17日に生まれ、中学から陸上を始める。駅伝強豪校の大牟田高校から誘いを受けて進学し、本格的な陸上選手として歩みを始めた。大牟田高校、法政大学でキャプテンを務めるなど競技だけでなく、人間性も高く評価されている。
コニカミノルタの実業団チームに入ってからも、先輩に平気でダメだしするなど相変わらずの存在感を発揮してチームを支え、ニューイヤー駅伝で5回の優勝を経験している。2007年にはプレーイングコーチとなり、2013年からはコニカミノルタの監督に就任した。

トヨタ自動車九州・森下広一監督

ニューイヤー駅伝で最高位2位という成績を残しているトヨタ自動車九州を率いるのは、1992年バルセロナオリンピックのマラソン銀メダリストとして有名な森下広一監督だ。1967年9月5日鳥取県八頭郡八頭町で生まれた森下広一監督は、中学時代から地域の駅伝大会に参加、八頭高校に進学して陸上部に所属して本格的に陸上を始める。駅伝での実績は残せなかったが、個人ではインターハイで入賞するなど活躍する。
卒業後は誘いを受けて旭化成に入社すると宗兄弟の指導により頭角を現し、トラックで実績を上げていく。初マラソンで中山竹通との一騎打ちを制して優勝、二回目のマラソンでも中山に競り勝ちマラソン経験2回でバルセロナオリンピックの代表を勝ち取った。トヨタ自動車九州では1999年の創部とともに監督に就任し、サムエル・ワンジル、今井正人などを育てている。

日清食品グループ・森田修一監督

2010年に悲願のニューイヤー駅伝初優勝を果たした日清食品グループを率いるのは、森田修一監督だ。1965年2月3日神奈川県出身で陸上選手としては専修大学で箱根駅伝に出場、卒業後は日産自動車に入社して実業団で実力をつけていく。
1992年バルセロナオリンピックの選考レースとなった福岡国際マラソンで自己最高の2時間10分58秒で優勝してオリンピックの有力候補になるが、そのあとの東京国際マラソンで森下広一と中山竹通がタイムで上回ったため、オリンピック出場は果たせなかった。
現役引退後は指導者の道へ進み、2000年から2011年までホクレンの監督に就任して女子駅伝チームを指導、赤羽有紀子などを育てる。その後日清食品の監督に就任、2012年はニューイヤー駅伝で優勝、その後も上位争いを演じている。

まとめ

ニューイヤー駅伝の強豪チームを率いる監督たちを紹介してみた。選手だけでなく監督の手腕にも注目すると、より駅伝を楽しめるかもしれない。