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あのスターは今どうなっているの?箱根駅伝で活躍した選手たちのその後

2016 10/12 03:34
柏原竜二 東洋大学
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Photo by Pavel1964 / Shutterstock.com

毎年お正月に行われる箱根駅伝では、毎年数々のスター選手が生まれてきた。 そんな箱根駅伝で活躍した選手たちは今どこで何をしているのだろうか。 箱根駅伝を盛り上げた選手たちのその後を紹介する。

山の神、柏原竜二選手(東洋大学)

“東洋大学の柏原竜二”といえば、駅伝ファンならすぐに思い浮かべる言葉が「山の神」だ。箱根駅伝のコースのなかで、高低差800m以上に達する最大の難所「5区」を、柏原選手はなんと1年生から4年生まで4年連続で出走した。4年連続の5区というだけでも凄いことであるにもかかわらず4年連続の区間賞、そのうち3回も区間記録を更新するという空前絶後の成績を残した。
柏原選手の活躍もあり東洋大学の駅伝チームも、2009年、2010年と2年連続で総合優勝し、2011年は2位に甘んじたものの、2012年にはふたたび総合優勝し、大学在学時の4年間で3回の総合優勝を果たす偉業を成し遂げた。
社会人となった柏原選手は、現在富士通の陸上部に在籍していたが、度重なる故障に見舞われ2017年3月31日をもって現役を引退。その後は同社のアメリカンフットボール部である富士通フロンティアーズのマネージャーを務めている。アニメ好きという一面やユーモアあふれる人柄から、ツイッターでは10万人にフォローされるなど、今なお多くの人に愛されている。

ごぼう抜きの名手、上野裕一郎(中央大学)

上野裕一郎選手が本格的に陸上をはじめたのは、高校生からだ。進学した中央大学ではエースとして活躍し、大学4年時の箱根駅伝では3区にエントリー、8人ごぼう抜きの伝説的な快走を見せ見事区間賞を獲得した。上野選手は箱根駅伝だけにとどまらず、インカレ大会や全日本大学駅伝、出雲駅伝などにおいても活躍。2007年の国際千葉駅伝では日本代表として優勝に貢献した。
卒業後は名門であるエスビー食品へ入社。国内の陸上大会で優勝を重ね、2009年の日本選手権では1500m・5000mの2種目で優勝するという快挙を成し遂げた。しかし2013年3月にエスビー食品陸上部が廃部となり、同チームを受け継いだDeNAの陸上部に移籍し、現役を続けている。

陸上の天才、佐藤悠基(東海大学)

陸上の天才として中学時代から名を馳せた佐藤悠基選手。高校日本記録を塗り替え、鳴り物入りで東海大学へ進学した。箱根駅伝では1年生ながら重要な区間である3区を任せられた佐藤選手は、いきなり8人抜きを披露し、当時の区間記録を大幅に更新。3年連続で区間記録を更新するという素晴らしい活躍を見せたが、一方で体調不良やレース中のけいれんにも悩まされた大学時代だった。
卒業後は日清食品グループに入社。2010年の全日本実業団駅伝では区間賞を獲得し、チームの優勝にも貢献した。2011年にはアジア選手権、世界陸上大邱大会10000mの日本代表に選出されたほか、日本陸上競技選手権大会10000mでは2011年以降4連覇を果たすなどトラックで活躍を見せている。

異端の名選手、徳本一善(法政大学)

徳本一善選手は、少々別の意味で「名選手」かもしれない。法政大学在学中は、金髪頭とビッグマウスでいつも話題を提供してくれる選手だった。2年生と3年生のときにはチームのエース的存在で区間記録を出すなど優秀な成績を残している。
ところが4年時に出場した箱根で、スタートからわずか6キロほどの場所で肉離れを発症し、「史上最短での途中棄権」という不名誉な記録を残してしまった。それ以後ビッグマウスを封印し、謙虚な選手へと変貌を遂げた徳本選手。しかし日清食品の白水昭興監督からの「自分らしく競技できるのが一番いいんだ。お前は金髪が似合う。それでいいじゃないか。」という激励が決め手となり、日清食品に入社して競技を続けた。
第一線からは退いたものの、駿河台大学駅伝部の監督として指導する傍ら、現在も競技を継続している。

ミスター箱根駅伝、渡辺康幸(早稲田大学)

陸上、特に駅伝ファンの間で"早稲田の渡辺康幸"と聞き、その名前を知らないとは言えないほどの有名選手が渡辺康幸選手だった。既に高校時代から国際大会の日本ジュニア代表として活躍していた渡辺選手は、スーパールーキーとして多くの実業団トップチームから受けた。しかし、その誘いを断り、偉大な先輩である瀬古利彦さんが監督をつとめる早稲田大学駅伝部に入部した。当時の活躍ぶりは今でも語り草となっており、1年時に総合優勝、2年から4年までは準優勝とすさまじい結果を残している。
卒業時には10を超える実業団に誘われる中、恩師瀬古利彦さんが陸上部監督をつとめるエスビー食品に入社した。ところがその後7回のアキレス腱断裂という不運にみまわれ、結局めぼしい成績を残せないまま、2002年に現役から退いた。その後2004年から母校早稲田駅伝部の監督をつとめ、2010年出雲駅伝、全日本大学駅伝、2011年箱根駅伝の男子大学駅伝三冠を達成した。2015年からは住友電工陸上部の監督に就任している。

まとめ

箱根駅伝で活躍した名選手たちの卒業後の様子はさまざまだ。大学や実業団を通し、スター選手として活躍し続けるのは、非常に難しいのかもしれない。