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駅伝の名門校、日本大学駅伝チームの歴史

2016 10/4 00:52
駅伝
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Photo by sainthorant daniel/Shutterstock.com

箱根駅伝の常連校である日本大学。 過去には4連覇を達成した駅伝部の強さにはどんな秘密が隠されていたのだろうか。 本記事では日本大学駅伝チームの知っておきたい歴史や特徴を紹介していく。

日本大学駅伝チームのはじまり

日本大学は東京都千代田区九段南に位置している私立の学校だ。大学名の正式な読みは「にっぽんだいがく」で、略称として「日大」と呼ばれることが一般的だ。大学は1920年に設立され、現在では日本でも最大規模の総合大学として発展を遂げている。
日大の陸上競技部は大学設立から翌年の1921年に創部され、2016年時点で創部96年というたいへん長い歴史をもつ陸上競技部となっている。箱根駅伝は大学設立と同じ1920年に第一回大会を開催しているが、日大の駅伝チームは1923年の第3回大会から出場している。

日本大学駅伝チームの戦績

日本大学駅伝チームは前述のとおり1923年から箱根駅伝に参戦し、順調に強化を進めた。箱根駅伝では1935年の第16回大会で初の総合優勝を果たすと、第19回大会まで史上初の4連覇を達成し黄金期を迎えた。箱根駅伝では、現在までに往路優勝13回、復路優勝13回で、総合優勝は12回という輝かしい実績を収めているが、1974年の第50回大会からは優勝から遠ざかっている。
全日本大学駅伝では、1991年に初優勝、その後も2005年、2009年と3回の優勝を果たしている。出雲駅伝でも力を発揮し、1989年の第一回大会で優勝、2003年と2004年、2008年と2009年に連覇を達成している。

日本大学駅伝チームと外国人留学生

1974年の箱根駅伝優勝からしばらくタイトルから遠ざかる時期が続く。そんな中2005年に日大初のケニア人留学生が競技会にデビューする。
ディラング・サイモン選手は一年目の箱根駅伝では3区で区間賞を取るという華々しいデビューを飾るが、2年目には2区で失速を経験し退学してしまう。このあたりは初めての留学生ということで受け入れ態勢もまだできていなかったのかもしれない。
そのあとを受けてやってきたギタウ・ダニエル選手は日本にもよくなじみ、2007年から2010年まで大活躍する。なかでも2009年は圧巻の20人抜きという記録を作った。その後もベンジャミン選手、キトニー選手と伝統は続いていく。

2016年の日大駅伝チーム

創部96年を迎える2016年は、タイトル奪還へ向けて新体制を発足している。去年までコーチを務めていた武者由幸さんを監督に抜擢し、競技だけでなく生活面でも選手の意識を変えるような取り組みを始めている。
学生の主体的な行動によって向上していくための意識改革を行い、かつての日大の栄光を取り戻すという強いモチベーションを共有しはじめた。また総合大学である日大では、フィジカルやメンタルだけでなく、メディカル(薬学)や栄養学などそれぞれの専門分野の知識を結集して強化を図ろうという取り組みも始まり、駅伝にとどまらず、世界で戦える選手の育成も目指し始めている。
エースとして活躍したキトニー選手が卒業して抜けた穴を新留学生のワンブイ選手や主将・石川颯真選手がどれだけ埋められるのかが見所だ。

まとめ

大学駅伝の名門・日本大学の歴史を紹介してきたが、いかがだっただろうか?成績はやや低迷気味である日本大学だが、意識改革による基礎能力の向上と、外国人留学生と日本人の調和が達成されればかなりの活躍が期待される。