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総合優勝13回を誇る早稲田大学駅伝の歴史と伝統

2016 10/4 00:52
駅伝
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Photo by Yeko Photo Studio/Shutterstock.com

男子学生の三代駅伝で20回もの優勝を誇る名門校、早稲田大学競走部の強さ、知りたいと思わないだろうか? 安定した実力を見せる同校の歴史と伝統を紹介する。

箱根駅伝に通算85回、総合優勝13回を誇る名門

えんじ色のユニフォームが特徴の早稲田大学は、箱根駅伝が始まった1920年の第一回大会から出場している。2016年の92回大会までの出場回数は85回で、うち13回の優勝を誇る名門チームだ。
特に際立つのが復路での逆転優勝の多さだ。往路を2位以下で走り、復路で1位に輝いて総合優勝を果たした回数は計6回。有力選手を往路に並べるのが早稲田の傾向だが、復路でも遅れを取り返すことができる選手層の厚さが早稲田の駅伝の特徴の一つと言えるだろう。

武井、花田、櫛部、渡辺の活躍で93年箱根駅伝制覇、全日本4連覇

早稲田大の駅伝における黄金期といえば「90年代前半」と答える方は多いだろう。1年時から箱根駅伝い出場し続けて4回とも区間賞(うち3回は区間新)を記録した武井隆次選手をはじめ、花田勝彦選手、櫛部静二選手とともに「早大三羽烏」と呼ばれ、これに2年後輩だった渡辺康幸選手も含めた活躍で93年の箱根駅伝を優勝した(94~96年は2位)。
また、全日本大学駅伝に4連覇(92~95年)した時期ともかぶっている。この4人は後に大学や実業団で指導者として活躍し、後進の育成にも多大な貢献をしている。

早稲田出身のスター選手たち

早稲田大は日本の長距離を担った多くのスター選手を輩出している。日本の長距離界をリードし続けた名選手として名高い瀬古利彦氏も、1年から4年連続で箱根駅伝に出場。3、4年の時には区間賞も獲得した。
忘れてはならないのは早稲田大の駅伝史上最高の選手と言われる渡辺康幸氏だろう。駅伝では同時期にピークを迎えた山梨学院大の留学生ランナー、ステファン・マヤカ選手と区間新記録の争いの末に勝利するなど、駅伝の歴史に残る名勝負をくり広げただけでなく、実業団でもアトランタ五輪代表に選ばれる活躍を見せた。

低迷期を乗り越えた学生駅伝3冠

早稲田大の駅伝は、1996年までの「黄金期」を過ぎると長期の低迷期間に入ることになる。99、2001年は10位とギリギリでシード権を獲得して名門としての体裁を保ったが、03?06年は15、11、16、13位と予選会からのスタートを強いられる憂き目も経験。
03年からコーチ、04年に駅伝監督に就任した渡辺康幸氏は当初、強化に失敗した時期も経験したが、練習量より目標設定を重視した練習方針が奏功し、2010年シーズンは出雲、全日本、箱根の3大駅伝を全て制覇し3冠王者(3校目)となった。

早稲田の伝統「集中練習」と「逃げ切り戦略」

3大駅伝を制覇した秘訣として挙げられるものが「集中練習」と「逃げ切り戦略」だ。早稲田大競走部の駅伝には箱根駅伝前の「集中練習」というハードな練習が存在する。2000年代中盤から後半にかけての低迷期は集中練習はけが人が出ることを恐れて控えめなメニューだったが、11年の優勝時は選手層の厚さから全てのメニューをこなした。
またスター選手を往路に配置する伝統の「逃げ切り戦略」で前半でなるべくリードを稼ぐという作戦をとった。東洋大には5区で逆転を許したが、復路で挽回するという選手層の厚さをみせつけ、3冠王者となったのだ。

まとめ

早稲田大というと近年は実力が安定しているイメージは強いものの、2010年以前は低迷に苦しんだチームであることがわかる。それを救ったのは、やはり伝統であったようだ。