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笑顔なき後輩を救った金メダル!?古賀稔彦が柔道界に残した功績とは

2016 12/16 20:07
古賀稔彦,Ⓒゲッティイメージズ
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後輩は金メダルを獲得するも

先に試合が来たのは吉田秀彦さんの方だった。動揺はあったものの、いざ試合が始まると圧倒的な強さを見せる。6試合すべて一本勝ちで制し、金メダルを獲得。しかし一切の笑顔はなかった。自分だけ金メダルを獲ってしまうなんて…。そんな罪悪感からか、選手村に戻っても部屋では気まずく、その日はリビングで寝るほどだった。
そして翌日、古賀稔彦さんの試合の日を迎える。まともな練習は一切できず、道着に袖を通したのもケガをした日以来という状態。それでも痛み止めを6本打ち、畳へと向かう。
いつもの柔道とはほど遠いものの、なんとか3・4回戦を判定勝ちで突破。準決勝の前にはもう1度痛み止めの注射を投入し、ようやくこの日初の一本勝ちを収める。体の状態は上がらずとも、勝負師としての勘は戻ってきたのか、見事な背負い投げが決まった。
そして決勝、相手はハンガリーのハトシュ。ケガを見透かされてか、相手の掛け逃げ戦法に苦戦を強いられる。こちらも小内刈り、一本背負いと攻めの姿勢を見せるが、決め手に欠き勝敗は判定へ。

落ち込む後輩を救った見事な金メダル

判定の瞬間、上がった旗は赤3本。それと同時に高々と右手を上げたのは、日本代表の古賀稔彦さんだった。畳の上で必死に涙をこらえる古賀稔彦さん。
一方、応援席で大号泣する吉田秀彦さん。自身の金メダルの時には一切の笑顔がなかったのだが、先輩が金メダルを獲ると安堵の表情を見せ、思わず涙があふれる。そして2人は抱き合って、心の底から喜びを分かち合った。
ちなみに、この話には続きがあって、2人は帰国後すぐに精密検査を受けたのだが、何と吉田秀彦さんは腓骨(足首付近の骨)が折れていたことが判明したのだ。歩くのがやっとという状態は吉田秀彦さんも同じだった。一方の古賀稔彦さんも、ストレスで胃に穴が開いていたそうだ。

引退後は後進の育成に。3人の子供にも期待

その後、1996年のアトランタオリンピックにも出場して見事銀メダルを獲得するが、2000年に引退。以降は全日本女子柔道強化コーチを務め、2004年のアテネオリンピックには谷本歩実さんのコーチとして参加した。愛弟子は見事に金メダルを獲得して、2人で抱き合いながら喜びを爆発させていたのが印象的だった。
一方で2003年には神奈川県に「古賀塾」を開塾。礼儀作法を重視し、柔道を通した人間形成を目的とした塾だ。この塾では古賀家の長男の颯人くん、次男の玄暉くん、長女のひよりさんも柔道を始めており、父親に負けず劣らずの柔道を見せている。
古賀さん自身は現在、岡山県の環太平洋大学柔道部の総監督を務め、後進の育成に力を注いでいる。

まとめ

古賀稔彦さんも吉田秀彦さんも、ケガを押しての金メダル。これはもう、お互いを思いやる気持ちが獲らせた金メダルではないだろうか。 やはりスポーツ選手は熱い心が大事である、改めてそう思わせてくれる名試合だった。

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