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柔道選手、鈴木桂治の功績を振り返る

2016 12/9 21:03
柔道
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転向がアテネで報われる

2004年にアテネオリンピックの100kg超級における柔道日本代表を目指した鈴木桂治選手は、激しい選出争いを制して、見事に日本代表の座を勝ち取る。そして、オリンピックでは力強い闘いを続けて順調に勝ち進み、そのまま優勝を果たすことになったのだ。
悩みぬいた末に転向を決めた100kg超級だったが、結果的には鈴木選手にとって初のオリンピック金メダル獲得をもたらすという、最高の結果を生むことになったのだ。

苦しみつづけた日々

アテネオリンピックで金メダルを勝ち取った鈴木桂治選手は、2008年の北京オリンピックにも連覇を目指して出場したが、1回戦と敗者復活戦ともに1本負けで敗れてしまうという苦しい結果に終わった。
その後、100kg級に再転向を表明したりと、復活に向けて精力的に大会にも挑んでいき、入賞を果たすなど復活の兆しを見せたこともあったが、2012年のロンドンオリンピックの代表選考からは漏れてしまうなど、北京の雪辱を果たすことは叶わなかった。

後進の育成にあたりながら

ロンドンオリンピックの選考に漏れた後の鈴木桂治選手は、第一線から退くことを表明し、その後は自分が学生時代を過ごした国士舘を中心に、全日本男子のコーチを歴任するなど、指導者としての道を歩き始めた。
現在は後進の育成が活動の中心となっている鈴木選手だが、あくまで第一線から退いたという言葉が示す通り、現役選手として大会に出場することは変わらずに続けている。 指導者と現役選手の両立を続けている鈴木選手の活動に、現在でも多くの人の注目が集まっている。

まとめ

世界最高の足技で多くの人を魅了したという点もさることながら、年齢を重ねても現役選手として試合に挑み続けるという鈴木桂治選手の高いプロ意識は、多くの人が見習うべきところだ。 リオオリンピックでは、鈴木選手が強化コーチとして育成した選手がメダルを獲得する活躍を見せたので、今後も後進の指導を続け、さらなる躍進へと導いてほしい。

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