「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

田村でも金!谷でも金!谷亮子が柔道界に残した功績を振り返る

2016 10/4 00:52
柔道
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Giampiero Acri/Shutterstock.com

女子柔道界で多大な功績を残してきた人物といえば、谷亮子さんだ。
オリンピックでは2つの金メダルを含む5つのメダルを獲得。おそらく1990年代後半?2000年代前半にかけて、最も強い女子柔道家だったのではないだろうか。
今回はそんな谷亮子さんの功績を振り返ってみたいと思う。

幼少期から天才的な才能

谷亮子さんが柔道に出会ったのは小学校2年生の時。4歳年上のお兄さんの影響で、福岡市にある東福岡柔道教室に入門した。奇しくもこの道場は谷亮子さん以外にも、中村兼三さんや日下部基栄さんなど、多くのメダリストを輩出した名門道場。幼い頃から最高の環境が整っていたというわけだ。
入門直後からメキメキと才能を現し、なんと数か月後には男の子を豪快に投げ飛ばすほど。4年生の時には九州少年柔道大会の団体戦で優勝。5年生の時には全国少年柔道大会の団体戦で3位入賞。そして6年生の時には全日本少年少女武道錬成大会の団体戦で優勝を果たすなど、あっという間に全国レベルへと駆け上がっていく。

中学2年生で全日本に招聘

中学へ進学した後もその勢いは止まらず、2年生の時には大人も出場する全日本選抜柔道体重別選手権大会の九州予選に出場。惜しくも準決勝で高校3年生だった衛藤裕美子さん敗れてしまうが、もはや同年代には敵なしだった。
この大会後、全日本女子代表チームの強化合宿に招聘されてしまう。まだ段位も持っておらず白帯の状態、しかも身長も140cmそこそこと小柄だったため、最初は誰からも相手にされなかったが、いざ組み手を始めると集まったトップレベルの選手たちを相手に豪快な背負い投げ、関係者をざわつかせた。

福岡国際で衝撃デビュー

3年生になった8月には再び全日本に選ばれ、フランス遠征を経験。現地のチームと練習試合を行い、なんと5戦全勝を記録する。帰国後の10月には強化選手選考会に出場し優勝。これらの実績が認められ、初の国際大会となる福岡国際のメンバーに選出された。
迎えた当日。初戦の試合では何とかポイントで逃げ切るという苦しい展開だったが、準決勝ではイギリスのカレン・ブリックスを相手にわずか28秒で技あり一本。決勝でも前年優勝者である中国の李愛月に一本勝ち。何とあっさりと優勝を成し遂げてしまうのだ。15歳での優勝は史上最年少の記録。その後に出場した国内の大会でも立て続けに優勝し、一躍トップ選手にまで駆け上がる。またこのあたりから漫画のキャラクターにちなんで「ヤワラちゃん」と呼ばれるようになった。
しかし、これはまだ彼女の伝説の序章にすぎない。このの大会後、福岡工大付属高→帝京大学→トヨタ自動車と進んだのだが、もはや国内には敵なし。高校以降の国内大会においては、2001年に全日本選抜柔道体重別選手権大会で敗退するまで12年間無敗、何と121連勝を記録したのだ。

バルセロナでは史上最年少メダリスト!その後2度の金メダルに輝く

谷亮子さんが残した伝説といえば、やはりオリンピックだ。高校2年生の時に初出場したバルセロナオリンピックでは見事に銀メダル。この時16歳11か月でのメダル獲得は史上最年少の快挙だった。福岡国際に続き、またも最年少記録を更新する。 結局、オリンピックは5度出場して金メダル2度、銀メダル2度、銅メダル1度。特に2000年シドニーでの「最高でも金、最低でも金」、2004年アテネでの「田村でも金、谷でも金」という言葉は皆さんの記憶にも新しいのではないだろうか。
バルセロナ、アトランタはどちらも銀。今度こそ金メダルと意気込んで挑んだシドニーオリンピック。決勝戦では今までの思いをすべてぶつけるかの如く、開始38秒で見事な内股を決めて一本勝ち。悲願の金メダルを獲得した瞬間だった。そして、当時オリックスに所属していたプロ野球選手・谷佳知さんと結婚し、初めて谷亮子として挑んだアテネオリンピック。初戦から準決勝まですべて一本勝ち、決勝でも相手にまったくポイントを与えない快勝をみせ、2度目の金メダルを獲得。選手として最高の瞬間を迎えた。

まだまだある!谷亮子の残した功績

また、オリンピックだけでなく、主要な国際大会のほとんどで優勝を果たしている。2年に1度開かれる世界選手権では6連覇を含む7度の優勝(1993?2003年、07年に優勝、05年は育児の都合で不参加)。他にも福岡国際大会11連覇(1990?2000年)、全日本柔道重量別大会11連覇(1991?2001年)などなど。その功績のすべてはここでは紹介しきれないほどだ。
現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」に所属し、政治家として活動している。「児童の通学安全の確保に関する施策の推進に関する法律案」などを発案・提出し、柔道以外の分野でも奮闘中だ。

まとめ

やっぱり谷亮子さんはすごい柔道家だった。 振り返るだけでもこのボリューム。それだけたくさんの夢と希望を私たちに与えてくれたということだ。
今は戦いの舞台を柔道から政治に変えた谷さんだが、これからも応援していきたい。