2016年にこの世を去ったスポーツ界の著名人 | SPAIA

2016年にこの世を去ったスポーツ界の著名人


12月30日(金)12時22分配信

【AFP=時事】2016年にこの世を去ったスポーツ界の著名人をAFPがまとめた。

■モハメド・アリ氏(ボクシング)

「アリは世界を揺るがし、より良い場所にした」。モハメド・アリ(Muhammad Ali)氏の訃報に際し、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領はそう述べた。20世紀のスポーツ界最大の英雄の一人であるアリ氏は、6月3日、パーキンソン病との闘いの末、74歳でこの世を去った。

 アリ氏の知名度はスポーツ界にとどまらず、3回のヘビー級王座に輝いたリング上での偉業と同様、リング外での闘いぶりも称賛を集めた。イスラム教へ改宗してカシアス・クレイ(Cassius Clay)の本名を捨てると、後にはベトナム戦争への徴兵を拒否して起訴された。その後も公民権活動に熱心に参加し、各所から誹謗(ひぼう)中傷を浴びたこともあった。

 プロとしては1960年から1981年まで活動し、56勝5敗の戦績を残した。その中でも歴史に残る名勝負と言われるジョージ・フォアマン(George Foreman)氏との「キンシャサの奇跡(Rumble in the Jungle)」については、フォアマン本人が「アリはすべての人の心に、偉大さのなんたるかを知らしめた」と語っている。

 4回の結婚で7人の娘、2人の息子をもうけた。故郷の米ルイビル(Louisville)で行われた葬儀には数多くの人が参列し、ビル・クリントン(Bill Clinton)元米大統領は、「われわれ共通の人間性のために闘った普遍の戦士」とたたえた。

■アーノルド・パーマー氏(ゴルフ)

 カリスマ的なゴルフ界の神であり、親しみやすい性格を持ったアーノルド・パーマー(Arnold Palmer)氏は、9月26日に87歳でこの世を去った。米ペンシルベニア(Pennsylvania)州ラトローブ(Latrobe)生まれの通称「キング」は、60年以上におよぶ波乱万丈のキャリアで、メジャー7勝、ツアー95勝の成績を残し、ゴルフというスポーツのあり方を変えた。

 リスクをいとわない積極的なプレースタイルや一風変わったスイングでファンを熱狂させたパーマー氏は、ゴルフ界初のテレビスターとなり、ゴルフを広く一般に浸透させる立役者となった。オーストラリアのジェイソン・デイ(Jason Day)は、「はっきり言うと、根暗なスポーツだったゴルフをアーノルド・パーマーがセクシーに変えたんだ」と話している。

 地元クラブのプロだった父の下に生まれたパーマー氏は、11歳でキャディーを始め、1954年にプロへ転向すると、史上初めてシーズン獲得賞金が10万ドルを超えた選手となった。賞金10万ドルが、今季で言えば246位の選手の獲得賞金で、1位のダスティン・ジョンソン(Dustin Johnson)が940万ドルを稼いでいる事実は、彼がゴルフを変えたことの一つの証明と言えるだろう。

 米国と欧州の対抗戦ライダーカップ(Ryder Cup)にも6回出場し、主将として2回勝利を収めた。

■カルロス・アウベルト氏(サッカー)

 1970年のW杯メキシコ大会W杯大会(1970 World Cup)を制した、史上最強の呼び声高いブラジル代表を主将としてまとめたカルロス・アウベルト(Carlos Alberto Torres)氏は、10月25日に72歳でこの世を去った。

 右サイドバックを務めた同氏のほか、ペレ(Pele)、トスタン(Tostao)、ジャイルジーニョ(Jairzinho)、リベリーノ(Rivelino)らを擁した伝説のチームは、メキシコ大会決勝でイタリアを4-1で退けて優勝。中でもペレのパスから同氏が決めた右足の弾丸シュートは、W杯史に残るゴールの一つと言われている。

 1944年にリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)で生まれた「カピタン(主将)」ことカルロス・アウベルト氏は、フルミネンセ(Fluminense)でプロ生活をスタートさせ、その後は1966年から1974年にかけてペレ氏とともにサントスFC(Santos FC)で、1977年から1980年にかけて米国のニューヨーク・コスモス(New York Cosmos)でプレーした。

 ブラジル代表では50試合以上に出場したが、連覇を期待されながら決勝進出を逃した1974年のW杯西ドイツ大会は、けがのため出場がかなわなかった。2004年に行われた国際サッカー連盟(FIFA)の100周年の記念式典では、史上最も偉大な選手100人に選出された。

 同氏の訃報に際し、2002年のW杯日韓大会を制した元ブラジル代表のロナウジーニョ(Ronaldinho)は、「永遠の主将のご冥福をお祈りする」とのコメントを寄せた。

■ヨハン・クライフ氏(サッカー)

 サッカー界は3月、史上最も偉大な巨匠の一人を失った。オランダ代表のレジェンドとして、攻守が一体化した「トータルフットボール」を体現したヨハン・クライフ(Johann Cruyff)氏は、肺がんのため、3月24日に68歳でこの世を去った。

 アヤックス(Ajax)で3回のヨーロッパチャンピオンズカップ(European Cup、現欧州チャンピオンズリーグ〈UEFA Champions League 2016-17〉)戴冠を果たし、アヤックスと、1973年から1978年までプレーしたFCバルセロナ(FC Barcelona)時代に合計で3回のバロンドール(Ballon d'Or)を受賞すると、監督としても1992年にバルセロナを欧州制覇に導いた。

 クライフ氏は、ペレ氏、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏、ミシェル・プラティニ(Michel Platini)氏、現在のバルセロナのエースであるリオネル・メッシ(Lionel Messi)らと並び、史上最高の選手の一人と言われている人物で、プラティニ氏は「彼がベストだ」と話している。

 ヘビースモーカーとして知られたクライフ氏は、2015年10月に肺がんを公表。長年の喫煙生活がたたって1991年に心臓のバイパス手術を受けた後は、タッチライン際で棒付きキャンディーをなめる姿が見られるようになった。カタルーニャ州厚生局は以前、「サッカーが私にすべてをもたらし、たばこがそのすべてを奪いかけた」と語るクライフ氏を広告に起用していた。

■ジョアン・アベランジェ氏(水泳、水球、サッカー)

 FIFAを巨大なグローバルビジネス企業に成長させ、リオデジャネイロ五輪招致を成功させた立役者でもある、汚職にまみれたジョアン・アベランジェ(Joao Havelange)元FIFA会長は、100歳の誕生日から3か月と8日後の8月16日、リオ五輪の開催期間中にこの世を去った。

 ブラジル出身のアベランジェ氏は、現役時代には1936年のベルリン五輪に水泳代表として、1952年のヘルシンキ五輪に水球代表として五輪に出場したが、最も記憶されているのは組織運営者としての姿だろう。

 1974年にFIFAの会長に就任したアベランジェ氏は、W杯の出場枠を16か国から32か国に拡大し、W杯を地球規模のスポーツの祭典としてブランド化した。ジョセフ・ゼップ・ブラッター(Joseph Sepp Blatter)氏に会長の座を譲りわたす前の1998年には、「私はただ面白い試合を見て、拍手をするためだけにFIFAの会長になったわけではない」という言葉を残した。

 酒もたばこもやらなかったアベランジェ氏は、しかし、その後に急激な転落を経験した。汚職疑惑の嵐が吹き荒れた2011年には、国際オリンピック委員会(IOC)を辞任。その2年後には、賄賂を受け取っていたことを認めてFIFAの名誉会長職を降りた。

■シャペコエンセの悲劇

 11月28日、ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)のメンバーを乗せた飛行機が、コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊に墜落した。犠牲者71人の多くはシャペコエンセの関係者で、選手、監督、スタッフを合わせて50人が命を落とした。コパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)の決勝へ進出するという、おとぎ話のような1年を送っている最中の出来事だった。

■初の女性F1ドライバー

 フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)初の女性ドライバーであるマリア・テレーザ・デ・フィリップス(Maria Teresa de Filippis)さんは、89歳でこの世を去った。イタリア出身で、女性カーレーサーの先駆けであるデ・フィリップスさんは、個人で所有するマセラティ(Maserati)で、合計3回グランプリの決勝レースに出走した。

【翻訳編集】AFPBB News

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