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夢と感動と愛を与えた日本テニス界の偉人5人

2016 7/23 23:12
錦織圭Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

悲劇のプレーヤー、佐藤次郎

日本人ではじめて世界一に最も近付いた男、佐藤次郎。1908年に群馬県で誕生。1930年に全日本テニス選手権で優勝すると、翌年には全仏でベスト4に進出。その後四大大会シングルスで5回のベスト4、ダブルスでは全英で準優勝、全豪で混合ダブルス準優勝という輝かしい成績を残した。

しかし当時、国威発揚として佐藤次郎を利用としたスポーツ界は、四大大会より国別対抗戦デビスカップに重きを置く時代。そのあまりのプレッシャーに押しつぶされた佐藤は、1934年に26歳の若さでヨーロッパ遠征に移動する船から飛び降り自ら命を絶った。

2015年に彼の遺書が発見された遺書には、自身の精神的苦痛について書かれていたようだ。

日本人最高の女子テニスプレーヤー!クルム伊達公子

現在も含めて日本最強の女子プレーヤーと言えば、クルム伊達公子を置いてほかにいないだろう。世界ランキングキャリア最高は4位。四大大会こそベスト4止まり(全豪・全仏・全英で1回ずつ記録)だったものの、シングルス通算6勝を挙げ、1996年に引退。

しかし、彼女のすごさはここから始まる。2001年にプロドライバーのミハエル・クルムと結婚し、2008年現役復帰。しかも、2009・2010年にはツアー優勝を果たしている。その鉄人ぶりは世界を驚嘆させた。

愛すべき熱血プレーヤー 松岡修造

「今年猛暑なのは松岡修造が日本にいるからだ」「今年厳冬なのは松岡修造が海外にいるからだ」と言われるほど、熱血キャラとして有名な松岡修造。

ビッグサーバー(強烈なサーブを打つプレーヤー)として有名だった彼の選手生活最大のハイライトは、1995年の全英オープンベスト8進出だった。4回戦(ベスト16)でマイケル・ジョイスをストレートで破ると、雄叫びを上げながらコートを走り回り喜びを全身で表した。四大大会ベスト8という成績は、先述の佐藤以来62年ぶりの快挙だった。

名前のごとく愛された世界ランキング1位の持ち主、杉山愛

今ではテレビのコメンテーターなどを務めている杉山愛。幼いころからテニスを初め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に。

女子ダブルスでは2000年の全米オープン、2003年の全仏とウィンブルドンで優勝し、混合ダブルスでは1999年全米で優勝している。WTAツアー世界ランクの最高はシングルスで8位、ダブルスで1位を獲得しており、オリンピックにはアトランタ、シドニー、アテネ、北京と4度出場。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回はギネス記録となっている。

2009年に引退したが、経歴を見れば間違いなく世界のトッププレーヤーのひとりといえる。

四大大会まであと一歩!日本人の夢をのせて!錦織圭

現在、JTAランキング・シングルス1位、ダブルス5位、ATPランキング・シングルス31位の錦織圭。

17歳でプロになり、ツアー12勝、2014年には全米で準優勝も経験。そして、リオ五輪では日本テニス界に96年ぶりとなる銅メダルをもたらした。2017年には右手首の腱断裂によりツアーから離脱したものの、2019年には全豪全仏、ウィンブルドンでベスト8にまで進んでいる。

錦織のフットワークの良さとショットの正確さは世界最高レベル。4大大会制覇を目指し、2020年も素晴らしいプレーを見せてほしい。