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イギリステニス界のレジェンド、フレッド・ペリーの功績

2016 11/1 19:56
ペリー銅像,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

イギリスのテニス界で伝説として語り継がれるフレッド・ペリー。知っておきたいフレッド・ペリーの功績を紹介する。

フレッド・ペリーの生い立ち

フレッド・ペリーは1909年5月18日にイギリスのストックポートという街で生まれる。
子供のころは卓球選手として活動していて、19歳のときには世界卓球選手権のシングルスで優勝するほどの実力者だった。20歳のときにテニスに転向し、当時の有力選手であったフランスのアンリ・コシェのプレーを参考に練習を重ねると、すぐに頭角を現す。テニス転向の2年後となる1931年には国別対抗戦のイギリス代表に選ばれ、イギリステニス界の第一人者としての地位を確立していく。

功績その1、史上初の「キャリア・グランドスラム」達成

イギリステニス界で頭角を現し始めてから2年ほどたった1933年には、早くも4大大会の一つである全米オープンで初優勝を果たしている。そしてこれを機に完全に最盛期へと入ったフレッド・ペリーは快進撃を続ける。
翌年の1934年には全豪オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンの3冠を達成、さらに翌年にはクレーコートの全仏オープンでも優勝する。
テニスでは現役中に4大大会すべてで優勝することをキャリア・グランドスラムと呼び、偉業として称えられるが、フレッド・ペリーは男子テニス界で初の達成者となった。

功績その2、ウィンブルドン選手権3連覇

イギリスで開催される4大大会の一つ、ウィンブルドン選手権は白いウェアの着用が義務付けられているような格式の高い大会だ。イギリス人にとっては夏に開催されるビッグイベントの一つとして、多くの人に愛される大会だ。フレッド・ペリーはこの大会で1934年から1936年まで3連覇を達成している。イギリス出身の選手がウィンブルドン選手権を勝利することは、イギリス国民に大きな喜びを与えた。
フレッド・ペリー以降はイギリス出身の選手がウィンブルドン選手権でなかなか勝てない時期が続くが、2013年にアンディ・マレー選手が77年ぶりに優勝して話題となった。

フレッド・ペリー引退後の活躍

現役中からおしゃれな選手として認められていたフレッドペリーは、引退してからスポーツウェアのブランドを設立して実業家として活躍する。
手始めに使いやすいリストバンドを製造するとこれが大成功。シャツの製造にも取り掛かり、1952年には「フレッド・ペリースポーツウェア社」を立ち上げる。ゆるめのシャツを着る風潮があった当時に、フィット感のあるスタイリッシュなシルエットのシャツを作るとこれがまた大成功。その後のイギリスのモッズファッションなどにも取り入れられてスポーツブランドとして地位を確立した。

まとめ

イギリステニス界のレジェンド、フレッド・ペリーを紹介した。イギリスでは「テニスの神様」と呼ばれることもあるフレッドペリーだが、卓球も強かったとは驚きだ。フレッド・ペリーのファッションブランドは日本でも、インターネット通販などで購入することができる。興味のある方はチェックしてみてほしい。