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テニス選手フアン・マルティン・デル・ポトロの功績

2016 11/1 19:56
テニスコート
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Photo by mr3002 / Shutterstock.com

プロテニスプレイヤー、フアン・マルティン・デル・ポトロの素晴らしい実力、知りたいと思わないだろうか? 今回は、彼の功績をご紹介する。

フアン・マルティン・デル・ポトロの生い立ち

1988年生まれ、出身はアルゼンチンにあるタンディル。イタリア系アルゼンチン人だ。元セミプロラグビー選手で獣医の父親と、教師の母親の家庭で育った。ジュニアテニス選手の登竜門と言われている「オレンジボウル選手権」14歳以下の部で優勝。テニス界に新たな怪物登場と騒がれていたが、度々の怪我と手術で、2年程試合出場を見合わせることとなった。
しかし復帰後、国際大会やオリンピックにも出場し、メダルを獲得。完全復活を成し遂げ、怪物健在ぶりを発揮しているのだ。世界ランキング最高4位、輝かしい大会成績を残している。テニスファンの間で、大変有名な選手だ。

デル・ポトロのデビュー戦から

2006年に4大大会の一つ、全仏オープンでデビュー。2007年に男子テニス国別対抗戦のアルゼンチン代表にも選抜された。2008年にはツアーで初優勝をし、そこから猛烈な快進撃で4大会連続優勝を果たす。そこからランキングは急上昇し、年間最終戦であるATPワールドツアー「テニス・マスターズ・カップ」の出場権を初めて手にした。こちらは年間ランキングを元に上位8名が選出される名誉ある大会だ。
そして2009年には全米オープンで初優勝し、史上5番目に若い優勝者となった。またその年のATPワールドツアー・ファイナル(この年テニス・マスターズ・カップから名称が変更)では準優勝を飾った。

デル・ポトロの怪我と復活

2009年の成績により、若手の中で最も期待されていた選手だったが、2010年に右手首の怪我で手術を受け、この年は試合ができなかった。しかし2011年には大会優勝は逃したものの、最終ランキングを11位まで上げ、ATPアワード・カムバック賞を受賞するほどの復活を遂げた。その勢いはその後も続き、2012年は全豪・全仏・全米オープンともベスト8に進出、オリンピックで銅メダルを獲得した。
2013年にはウィンブルドンでベスト4。快調と思われたが、2014年に左手首の手術を受ける怪我を負い、大会を欠場する年になった。2015年に試合に復帰するも、再度左手首の手術を受け、その後の大会を欠場した。

デル・ポトロの躍進

2度目の怪我に悩まされたが、彼の躍進はこれでは終わらなかった。ランキングが585位まで落ちるも、2016年にはATPツアートーナメント大会のデルレイビーチ・オープンで準決勝進出を果たし、再び復帰を果たした。そしてリオデジャネイロオリンピックにも出場し、1回戦では、前回のロンドンオリンピック3位決定戦の再現となる、世界ランク1位のノバク・ジョコビッチとあたるも勝利。銀メダルを獲得した。

まとめ

怪我に悩まされながらもまだまだ続くフアン・マルティン・デル・ポトロの快進撃。今後も目が離せない。