知っていると競泳が楽しめる!潜水のルール | SPAIA

知っていると競泳が楽しめる!潜水のルール


水泳

Photo by Solis Images / Shutterstock.com

オリンピックのメーン種目の一つである競泳。泳法や距離によって種目が細かくわかれていますが、レースをスタートした際に行う潜水には実はルールがあるのをご存知でしょうか。今回は、潜水にルールができた経緯や、その契機となった事柄について紹介していきます。

潜水は水中の抵抗が少なく高速推進を可能に

潜水泳法は水中で無呼吸のままバタフライキックを繰り出し続けて推進する泳法です。水面を移動する際に発生する「造波抵抗」を軽減する効果があるため、一般的に他の泳法よりも速いとされています。2016年現在、競泳における潜水のルールは1956年に開催されたメルボルン五輪の直後に改正されたものがベースとなっています。その契機を作ったのは「人間ノーチラス」との異名を持つ古川勝氏でした。古川氏が潜水泳法で金メダルを取ったことによってルールが変わったのです。

桁外れの肺活量で潜水泳法を生み出した古川勝氏

古川氏は入部した日本大学水泳部のOBで、ベルリン五輪の平泳ぎ男子200メートル金メダリストの葉室鐡夫氏から助言を受けて、世界で勝つために潜水泳法に力を入れました。古川氏は人並み外れた肺活量を持っていたため、無呼吸状態で大量の酸素を必要とする潜水泳法に適していました。潜水泳法は絶大な力を発揮し、メルボルン五輪の前年(55年)に世界新記録を樹立して一躍世界のトップに躍り出ると、翌年のメルボルン五輪でも男子200メートル平泳ぎにおいて金メダルの栄冠に輝きました。

メルボルン五輪直後に潜水はルール改正で制限がかかる

当時の古川氏は、肺活量を武器に45メートルも潜水することができました。このため、平泳ぎの選手であるにもかかわらず、レースではほとんど水面から出て来きませんでした。古川氏は圧倒的な速さで世界一の称号を手にしたものの、直後に国際水泳連盟は潜水に制限を設けました。スタート直後、ゴール前のひとかき、ターン直後以外は潜水してはいけないというものです。明らかに古川氏を意識したルール改正でしたが、日本勢はこの逆風に負けず、1972年のミュンヘン五輪で新泳法をひっさげて臨んだ田口信教選手が世界新記録で金メダルを獲得しました。

背泳ぎで潜水する「バサロ泳法」も制限の対象に

競泳でよく聞く単語のひとつに「バサロ泳法」があります。1970年代に個人メドレーで世界記録を打ち立てたジェシー・バサロというアメリカの選手にちなんで付けられた名前であり、背泳ぎに切り替わる際に潜水泳法を用いたことからこの名前が日本で普及しました。しかし、80年代になるとこの泳法を用いた潜水距離の長い選手が記録を伸ばす傾向となったため、88年のソウル五輪後に再びルール改正のメスが入ります。この時、背泳ぎにおける潜水距離は10メートル以内に制限されましたが、91年には15メートルまで緩和されました。

潜水泳法は一時下火となるもののフェルプスの登場で最注目

1990年代には、バタフライで短水路の世界新記録を樹立した(97年)青山綾里氏も潜水泳法を得意としていました。しかし、98年にはバタフライと自由形の潜行距離も15メートルに制限されました。前述の通り、無呼吸の潜水泳法は体力を激しく消耗するため、制限が設けられてからは潜行で記録を伸ばそうとする選手は減る傾向にありました。この新説を覆したのが最強のスイマーとの呼び声が高いマイケル・フェルプス選手で、制限いっぱいまで潜行をするスタイルで次々と記録が打ち立てられたことで、競泳界では潜行が再び重要視されるようになりました。

まとめ

抵抗が少なく高速推進を可能とした潜水泳法は日本人によって脚光を浴びては、その都度ルールが改正される傾向がみられます。しかし、改正の波があっても日本人スイマーは努力でそれに打ち勝り、競泳は日本のお家芸と言われる地位を守り続けていることを忘れてはなりません。

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