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美人スイマーとして有名な水泳選手、鈴木聡美の功績をご紹介

2016 11/29 21:30
鈴木聡美,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

2012年に初出場したロンドン五輪で3つのメダルを獲得したことから、一気に注目をあびることとなった鈴木聡美選手。 平泳ぎの日本記録保持者で、美人スイマーとしても知られる鈴木聡美選手の生い立ちや功績などを紹介していく。

鈴木聡美選手の生い立ちと無名だった学生時代

1991年1月29日に福岡県遠賀郡遠賀町に生まれた鈴木聡美選手。幼少期は「姉のやっていることは私もやりたい」という子どもだった。 2歳離れた姉が水泳を始めたことがきっかけとなり、4歳だった鈴木選手も水泳をスタート。その後に本格的に取り組むことになったのも、選手コースにステップアップした姉の影響で、姉と同じく自身も競泳にのめり込んでいく。 しかし、8歳から熱心に取り組んだ競泳も、小・中・高の学生時代にはほとんど結果は残せなかった。

無名から一気に全国レベルへと駆け上がった鈴木聡美選手

九州産業大学付属九州高校を卒業した鈴木選手は、さらにストイックに競泳に挑むため山梨学院大学へと進学。厳しい指導で有名だった山梨学院大学水泳部との出会いが、鈴木選手を一気に全国レベルへと押し上げることになった。 実力はすぐに覚醒し、大学1年生の時に日本学生選手権100mで優勝。なおかつ1分6秒32の日本記録を樹立。その後も水泳部のコーチの指導を受け、練習量も大幅に増加。積極的にウエイトトレーニングも実施したことにより、才能が開花していく。

平泳ぎの日本代表選手となった鈴木聡美選手

山梨学院大学水泳部のコーチの指導を受け、体もひとまわり大きくなった鈴木選手。 2010年に開催された日本選手権では、平泳ぎの50m・100m・200mで優勝して3冠を達成。続くアジア大会では、優勝こそ逃がしたが、3位と2位に入賞。2011年に行われた競泳国際大会代表選手選考会では平泳ぎで3冠を達成し、世界選手権の日本代表に選出された。 しかし、上海で行われた世界選手権では惜しくも入賞には届かず、悔しい結果となった。

ロンドンオリンピックで活躍した鈴木聡美選手

世界選手権は残念な結果となったが、翌2012年に開催された日本選手権で、平泳ぎの100mと200mで好タイムで優勝し、ロンドンオリンピック代表に選出。同年の5月に開催されたジャパンオープンでは3種目制覇を達成した。 2012年夏、最高の仕上がりで迎えたロンドンオリンピックでは、100m平泳ぎで銅メダル、200m平泳ぎでは日本タイ記録となるタイムを出して銀メダルを獲得。日本女子史上初となる個人種目の複数メダル獲得を果たす。そして400mメドレーリレーでは第2泳者として出場して3位に貢献し、日本新記録を樹立して銅メダルを獲得した。

鈴木聡美選手のメダリストとしての苦悩とオリンピック

日本競泳界で女子史上初となるオリンピック大会で3つのメダルを獲得した鈴木選手。輝かしい成績を残し、2013年に山梨学院大学を卒業した。その後はミキハウスに所属し、次のオリンピックを目指して歩んでいった。 しかし、メダリストとしてのプレッシャーを感じたのか、成績は振るわずに低迷。この時期からフォームの改善も行うが、日本選手権では準決勝で敗退したことから、2015年世界水泳選手権の代表から外れた。
その後はフォームを戻して日本選手権で復活。リオデジャネイロオリンピックでは再び代表に選出。結果こそ準決勝敗退となったが、挫折から這い上がってきた実力もあることから、今後も期待される選手となっている。

まとめ

美人スイマーとして人気の鈴木選手の生い立ちや功績を紹介した。 メダリストとしてのプレッシャーを跳ね除けて復活を果たした鈴木選手。リオデジャネイロオリンピックは残念な結果となったが、懸命に泳ぐ姿から勇気をもらった人も多いことだろう。 今後の動向はまだ発表されていないが、次の東京オリンピックにもぜひ出場してほしい選手だ。