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大相撲元横綱・朝青龍の功績~ある意味最強力士~

2016 9/14 09:42
朝青龍
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出典 http://www.shikoku-np.co.jp

今の大相撲はモンゴル勢の勢いが止まらないが、その流れを作った朝青龍の功績を知りたい人も多いだろう。名横綱として名高い朝青龍について解説する。

アマチュア時代の実績は?

朝青龍はモンゴル出身だが、モンゴル相撲では実績を残しているのだろうか?実際には、少年相撲レベルで活躍していたのみ。というのも、1997年にはすでに明徳義塾高校に留学しているので、実績を残す前に来日しているのだ。

高校時代には、文徳高校の内田水と良きライバル関係であったものの、試合では敗れている。ただ、その活躍が認められて、現高砂親方にスカウトされ、明徳義塾高校を中退して大相撲の門を叩くことになる。

あれよあれよという間にトップに

朝青龍は初期は努力の人間として知られていて、激しい稽古にも耐え抜き、あれよあれよという間に昇進を果たしていく。1999年の序の口で6勝をあげて以降、着実にステップアップしていき、2001年に初入幕する。

入幕後にいきなり9勝6敗の成績を収め、敢闘賞の候補に挙がる活躍を見せた。その年に、早くも当時の最強横綱である貴乃花と対戦するが、力の差は歴然で、なすすべなく負けてしまう。この悔しさが、その後の活躍の原動力となる。

初優勝は2003年

確実に優勝争いに加わるものの、どうしても詰めの甘さを感じさせる相撲っぷりで、なかなか優勝に手が届かなかった。そこで筋力トレーニングを積極的に行い、パワーアップを図ることになる。

2002年の9月場所では、中盤で優勝争いのライバルだった貴乃花と対戦。積極的な攻めの姿勢を見せて追い詰めるも、最後には投げられて敗北している。2003年の11月場所で、上位陣が星を取りこぼす中で着実に勝ちを重ね、初優勝を果たした。

見事に横綱に昇進

初優勝後、次の場所も連続して優勝し、勢いは止まらない。これで一気に横綱への昇進が見えてきたのだが、立ち振舞いのまずさから横綱審議委員会が紛糾する。

一部委員からは横綱に相応しくないとのレッテルを貼られるものの、実績はピカイチということもあり、第68代横綱朝青龍が誕生。その後の活躍は言うまでもなく、多くの実績を残して、新しい横綱像を築き始める。一方で、この頃からさまざまなトラブルを起こすようにもなる。

白鵬との名勝負

朝青龍の過去の名勝負と言えば、白鵬との激しい一番が挙がるだろう。同郷ということもあり、お互いがリスペクトしあっている印象が取組にも感じられた。特に、白鵬が横綱になってからの対戦は毎回名勝負と言えるものだった。

2008年1月場所では力と力のぶつかり合いを見せ、観客は大熱狂した。その後は、白鵬が圧倒的な力を見せて朝青龍は見るも無残な成績となってしまうが、立ち会いの変化などトリッキーな相撲を見せる朝青龍は、功罪あれど伝説の横綱のまま引退することになる。

古き良き相撲を愛する人からは、朝青龍は好き嫌いが別れる横綱だったが、今のモンゴル勢が席巻する流れを作ったのは間違いない。これからも、伝説として語り継がれることだろう。