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大相撲、愛すべき大関琴奨菊

2016 9/9 08:08
相撲
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

琴奨菊の今までの経歴や成績を知りたいと思っている方も多いと思う。
少年時代から現在までを分かりやすくまとめて解説する。

琴奨菊、輝かしい実績の少年時代

大関琴奨菊和弘は、佐渡ヶ嶽部屋に所属する力士だ。出身は福岡県柳川市、1984年1月30日に生まれた。
相撲好きの祖父の指導のもと、小学校低学年より相撲を始め、恵まれた相撲環境でメキメキ頭角を現す。そして、小学校を卒業すると高知県の明徳義塾中学相撲部に籍を置き、相撲に打ち込む。
明徳義塾は中学・高校の一貫校で、横綱朝青龍を輩出した相撲の名門校だ。琴奨菊は中学、高校をここで過ごすが、その間、中学3年では中学生横綱に輝き、高校でも全国大会で数々のタイトルを手にする。

琴奨菊、佐渡ヶ嶽部屋に入門

中学、高校で活躍した後は、二所ノ関一門の佐渡ヶ嶽部屋に入門する。そして、2002年1月場所で初土俵を踏む。翌3月場所は序の口で6勝1敗、次の5月場所では序二段に昇進し、ここでは7戦全勝と順調なスタートを切ることができた。
琴奨菊の当時の四股名は琴菊次(こときくつぎ)を名乗っていた。
これは、本名の菊次一弘(きくつぎ かずひろ)から取っているが、本名に琴の一字を冠した佐渡ヶ嶽部屋独特の四股名だ。こうして佐渡ヶ嶽部屋所属の力士として関取を目指すことになった。

琴奨菊、十両優勝で幕内に定着

初土俵から序の口、序二段、三段目と順調に白星を重ね、同じ年の11月場所では幕下に昇進、いよいよ関取が手の届くところまできた2004年1月場所から琴奨菊を名乗る。
そして、翌々5月場所で西幕下5枚目まで番付を上げた琴奨菊は、この場所を5勝2敗で乗り切り、翌7月場所で念願の十両へと昇進する。十両は3場所で通過したものの、新入幕で負け越して再度十両に陥落。
しかしその場所は13勝2敗で十両優勝を飾り、再び幕内に返り咲く。それ以降十両に陥落することはなかった。

大関琴奨菊、大関昇進、そして初優勝

幕内に定着した琴奨菊は、一進一退を繰り返し、いよいよ大関が狙えるところまで番付を上げていく。2011年1月場所では西関脇で11勝4敗の成績を挙げて技能賞を獲得するが、翌3月場所は八百長問題が持ち上がり、場所そのものが開催されなかった。
そして5月には技量審査場所が開催される。ここで10勝5敗とまずまずの成績を残し、翌場所は11勝4敗で殊勲賞を獲得。いよいよ大関獲り場所となった9月場所では13勝2敗で殊勲賞、技能賞を獲得して、大関に昇進した。 大関になってからは怪我などもあり、思うような成績は残せなかった。しかし、2016年1月場所、9日目までを全勝で乗りきると、鶴竜、白鵬、日馬富士の3横綱を連破、13日目に豊ノ島に不覚を取るものの、14勝1敗の成績で優勝を果たす。

大関琴奨菊のこれからと引退後を考える

大関琴奨菊は、これまでに幕内優勝1回、準優勝3回、技能賞4回、殊勲賞3回を獲得している。技能賞、殊勲賞、敢闘賞の三賞は大関には与えられないので、それらはもういいとして、優勝回数はまだまだ増やすことができそうだ。 鋭い出足で相手を組みとめて、がぶり寄りが出れば、誰にも負けない力を発揮する。そしてやはり横綱を目指してほしいと、大相撲ファンは思っているのではないだろうか。
引退後は親方になって相撲界に残るつもりのようだ。体を大きく反らせるお馴染みのポーズ「琴バウアー」が見られなくなるとさびしくなるが、多くの力士を育ててほしいものだ。

まとめ

大関になってからは怪我に泣かされることが多い琴奨菊だが、なんとか怪我を治して力を発揮してほしいものだ。
優勝も、横綱への道も、夢ではない。