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大相撲で活躍するモンゴル出身の力士たち

2017 5/8 19:55茶色野うさぎ
大相撲
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出典 loca4motion/Shutterstock.com

大相撲界ではモンゴル出身の力士たちが活躍している。今では当たり前の光景となっているが、どんな経緯があったのか、なぜ強いのか不思議に思う方もいるのではないだろうか?
今回はそんな大相撲とモンゴルの関係を掘り下げてみたいと思う。

モンゴル国の成立

相撲の話に入る前にモンゴル国について少し解説する。
現在のモンゴル国はモンゴル語を使用する民族で構成されていて、首都はウランバートル。地理的には北をロシア、東と南は中国、西は新疆ウイグル自治区に接する場所にある。清朝から独立して1924年にモンゴル人民共和国を建国するが、1992年には社会主義を放棄、日本ではモンゴル国という表記をされるようになった。日本とも1990年以降からは交流が盛んになってきて、それに伴いモンゴル出身力士も増えてきた。

モンゴル出身力士の先駆け

モンゴル出身力士が誕生するきっかけとなったのは1991年に大島親方(元・旭國)がモンゴルで行った新弟子募集だった。当時は外国出身力士の入門を控える部屋が多い中、大島親方は思い切った募集に踏み切った。6人の新弟子をスカウトして日本に連れてくるが、そのうち3人は3か月で帰国してしまう。残った3人は頑張って相撲を取り続けて、幕下の旭天山、幕内の旭鷲山、旭天鵬として活躍する。
ただ実際に日本で頑張り続けたのは旭天山のみで、ほかの二人は、モンゴルに逃げ帰ったことがあったようだ。最終的に旭天山の存在を大きく感じた旭鷲山と旭天鵬は、日本に戻り相撲に取り組んだ後、幕内の三役まで昇進している。

モンゴル出身力士の躍進

先駆けとして頑張った旭鷲山関は多彩な技を使って活躍して小結まで昇進、舞の海関と比較され「技のデパート・モンゴル支店」と呼ばれる活躍をした。旭天鵬関も37歳8か月の幕内優勝の最年長記録を打ち立てるなど人気力士として活躍、引退後も相撲ファンに愛されている。
その後も続々とモンゴル出身力士が誕生し、2003年3月場所で朝青龍関がモンゴル出身力士として初の横綱昇進を果たす。2017年1月時点では白鵬関、日馬富士関、鶴竜関の三人がモンゴル出身の横綱として活躍している。

モンゴル出身力士の強さの秘密

モンゴルといえばモンゴル相撲をイメージするように、相撲に似た競技が発展している。そのため子供のころからモンゴル相撲に親しんでいるというのは大きなメリットになっている。
また、モンゴルでは日本人が思っているよりもスポーツが盛んで、ウランバートルではレスリングや柔道に熱心に取り組んでいる場所もある。有望な先輩たちの活躍で相撲人気も高く、いまではスカウト目的で相撲大会を開催すると有望な少年たちがたくさん集まってくるようになっているので、素質十分の新弟子を選ぶこともできる。こういった状況がメンタル面、フィジカル面の両方で日本出身力士を圧倒する状況を生んでいるといえる。

モンゴル出身力士の現状

2017年1月の時点で日本相撲協会に登録されているモンゴル出身力士は全部で23人だ。外国人力士の扱いはハワイ勢が活躍した1992年に協会全体の総数を40人以内にしようという取り決めがされたが、現在は撤廃され各部屋一人までとなっている。
このことから多くの部屋が外国人力士としてモンゴル出身力士を抱えているという状況が見て取れる。 三横綱に続く存在としては照ノ富士関、逸ノ城関、玉鷲関が続くが、故・九重親方の指導をうけて台頭してきた千代翔馬関も次世代を担う存在として今後の活躍が期待されている。

まとめ

大相撲で活躍するモンゴル出身力士に注目して、歴史や強さの秘密を解説してみた。
日本との交流が進むにつれて、モンゴル出身力士も増えてきたというのが実際のようだ。大相撲に憧れて日本にやってくるモンゴルの若者たちを今後も応援していこう!