大相撲を江戸時代から引っ張ってきた出羽海部屋の歴史 | SPAIA

大相撲を江戸時代から引っ張ってきた出羽海部屋の歴史


相撲

出典 http://www.asahi.com

大相撲の出羽海部屋に興味がある方へ。 相撲界でも屈指の名門部屋といわれる出羽海部屋は、どのような歴史があって今に至るのか知りたい人も多いと思います。 今回はそんな出羽海部屋の歴史についてご紹介します。

出羽海部屋の歴史


寛政末年 出羽ノ海金蔵(後の運右衛門)、年寄資格を得て出羽ノ海部屋開祖となる
1808年 鹿間津 滝右衛門が出羽ノ海滝右衛門に改名する
1862年 初代常陸山(桂川立吉)、出羽ノ海として年寄専務となる
1890年 常陸山 虎吉(最高位-前頭筆頭)、出羽ノ海運右衛門に改名し部屋を継承
1914年 第19代横綱 常陸山 谷右ェ門、出羽の海谷右衛門を襲名し部屋を継承
1922年 両国 梶之助(最高位-小結)、出羽ノ海梶之助として部屋を継承
1949年 第31代横綱 常ノ花 寛市、出羽海秀光として部屋を継承
1960年 出羽ノ花 国市(最高位-前頭2枚目)、出羽海喜偉として部屋を継承
1968年 第50代横綱 佐田の山 晋松、出羽海智敬として部屋を継承
1996年 鷲羽山 佳和(最高位-関脇)、出羽海義和として部屋を継承
2014年 小城ノ花(最高位・前頭)、出羽海昭和 として部屋を継承  

出典 出羽海部屋公式サイト

出羽海部屋の特徴

出羽海部屋は江戸時代から続く歴史の古い相撲部屋。相撲界を代表するような相撲部屋でした。この部屋での通例的な四股名は色々あるのですが、最初は「出羽」を冠する四股名をつけることが通例となっていました。
その後は四股名も多様化し、他にも出身地に山をつける四股名も台頭。これは常陸山が発祥です。出身地に海というのもこの部屋から始まった四股名です。両方共に相撲界全体で使われる四股名となりました。
ちなみに先代は自身の四股名である「佐田」を使っていましたが、現在では分家したできた相撲部屋である境川部屋で四股名に「佐田」を冠することが引き継がれています。

常陸山の影響力

出羽海部屋は明治時代に圧倒的な人気を誇る力士を生みだします。出身地に山という四股名を流行らせる原因となる常陸山です、全国民を巻き込む人気でした。ここから出羽海部屋の長い長い黄金時代が続き、大正時代、昭和初期まで継続的に強い力士を生み出し続けます。
戦後になると、それまでの勢いは少し落ち着いてしまいますが、それでもなお「強い力士を生む相撲部屋は出羽海部屋」だという相撲界での圧倒的な地位は譲りませんでした。

100年の歴史、途絶える

横綱にもなった出羽海部屋を代表する力士、三重ノ海。圧倒的な強さをみせつけ、「出羽海部屋は健在だ」といわしめるには十分な成績を残しました。
ですが、三重ノ海を最後に勢いは出羽海部屋からは強い力士が生み出されるというかつての勢いは一気に止まってしまいます。平成に入ってから現在までは急激に衰えを見せ、ついに関取が一人もいないという状態まで追い込まれました。
100年以上幕内力士を出し続けたという歴史が途絶えてしまったのです。

まとめ

江戸時代から続く伝統の歴史、それは残念ながら途絶えてしまいました。 現在、出羽海部屋では過去の栄光を取り戻そうと勢力的に活動しています。 100年近く続いた栄光時代を取り戻すのも、そう遠くはないかもしれません。

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4/27 23:19更新

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