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日本の国技としての大相撲の歴史を調べてみた

2016 11/15 19:42
大相撲
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Photo by Yuka Tokano/Shutterstock.com

相撲といえば日本の国技だ。 年に6回の本場所が行われ、そのうちの半分が行われる両国国技館は聖地とされている。 そんな日本の大相撲だが、最近日本人力士の成績が芳しくない。 今後の復活に向けて、若貴時代からの流れをおさらいしておきたいと思う。

若貴ブーム

日本人力士でブームを巻き起こした最新の力士といえば、若乃花・貴乃花兄弟が横綱として各界を席巻した若・貴ブームだろう。
千代の富士引退後、横綱が空位となり、相撲の人気にも陰りが見えていた時期だったが、先代若乃花・貴乃花との血縁や兄弟横綱ということ、そして、特に貴乃花は曙や武蔵丸といったハワイ出身の外国人力士を相手に体格差をものともせず敢然と勝負を挑み、実に22回の優勝を飾り、その強さでもファンを引き付けた。
女優・宮沢りえとの婚約破棄騒動など、スキャンダルも少なくはなく、色々な意味で角界が世間をにぎわせることとなった時代でもあったが、二人の活躍は、特に女性ファンを相撲界に多く取り込むことに成功した。

朝青龍一強時代

若・貴ブームの終焉、すなわち、貴乃花の引退後入れ替わるようにして登場した角界のヒーローは朝青龍だった。高知の明徳義塾高校から角界へ転身した朝青龍は、2002年にモンゴル出身の力士としては初めて大関に昇進し、翌年には横綱に昇進している。この間、上記の貴乃花とは2回戦っているが2敗に終わり、朝青龍は晩年の貴乃花に一度も勝つことができなかった。
朝青龍は、貴乃花の引退後、武蔵丸と共に横綱の地位にあったが、武蔵丸の引退と共に、2004年1月場所からは一人横綱として角界に君臨することになった。2004年には35連勝、年間6場所完全優勝、年間84勝など、さまざまな功績をあげ、まさに一人横綱としての体面を立派に保った。
もっとも、2006年・2007年の頃になると、脱税問題や休業期間中のサッカー問題などが発生し、横綱としての品位が次第に取沙汰されるようになる。後輩のモンゴル出身の横綱である白鵬とも優勝争いを繰り広げるなど、相撲での結果は出していたものの、素行面での世間によるバッシングが激しさを増していった。
2010年には最終的に横綱初の引退勧告を受けるなど、実力そのものは申し分なかっただけに、もったいない最後になってしまった。

白鵬時代、そして日本人力士の今後

朝青龍の後を受けて角界の頂点に君臨することになったのは、同じモンゴル出身の白鵬だった。白鵬は史上最年少で幕内優勝を果たすと、2006年に横綱に昇進。当時、前述した朝青龍の素行が問題視され始めていた時代であり、朝青龍と比較して白鵬にはクリーンなイメージが植えつけられ、今でも白鵬はクリーンな横綱というイメージがある。
2006年1月から約10年間、日本人力士の優勝はなかった。現在も白鵬は健在ではあるが、ルックスで人気を誇る遠藤をはじめ、徐々に日本人力士にも若手が育ち始めてきている。

まとめ

以上のように、朝青龍以降、角界は主としてモンゴル勢に席巻されてきたといえる。このことは白鵬が史上最多の37場所優勝を達成していることからも明らかだ。 また、新弟子検査の受検者の少なさに表れているように、若者の相撲離れは如何ともしがたい問題である。
国技である相撲には、日本人力士の活躍が不可欠だ。年々日本人力士が減っていく中、外国人力士たちが相撲界を盛り上げ国際的な競技になることを歓迎する一方、上記した遠藤をはじめ、日本人若手力士が活躍することで、今後も日本の国技としての尊厳を維持していってほしいものだ。