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廃止の危機?国技になったのはいつ?大相撲の歴史をひもといてみよう

2016 11/8 19:20
相撲
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Photo by Yuka Tokano/Shutterstock.com

日本の国技は「相撲」。 なぜそう呼ばれているのか知りたい方もいらっしゃるのではないだろうか。 その理由と、大相撲の歴史を紹介する。

「国技」は法律で定められるわけではない?

国技は、カナダのアイスホッケーのように法律で定められて特別の待遇を受けている場合もある。しかし、多くの場合は、国民に深く親しまれていたり、歴史的に重要だったりするため、慣習として国技とされていることがほとんどだ。
日本の場合も後者にあたる。相撲の他にも、剣道、弓道、柔道といった武道が国技だという考えもある。
もともと、「相撲が国技」という考え方が世に広まるきっかけになったのは、1909年に両国の相撲常設館を「国技館」と命名したからと言われている。

「古事記」にも「日本書紀」にも書かれていた相撲

相撲は、古墳時代の埴輪や須恵器にも書かれるほど、古くから行われていた。
「古事記」には、神様同士が行い、勝負にならなかったことが記されている。一方、「日本書紀」には、最古の人間の力士同士による取り組みが記載されている。
紀元前23年7月、出雲の野見宿禰(のみのすくね)が、大和の当麻蹴速(たいまのけはや)を、天覧試合で負かしたそうだ。ただ、試合内容は蹴りの応酬、最後は命を奪うもので、我々が知る相撲とはほど遠いものだった。

神事から娯楽へと

奈良時代に入ると突く・殴る・蹴るが禁じられ、現代にも伝わる四十八手と礼儀作法が制定された。その後、貴族や庶民には五穀豊穣を祈願する神事として、武士たちには実践の鍛錬として普及した。
鎌倉時代には武士同士が馬を巡って相撲で競う話があったり、南北朝時代には遊びとして着物を着たまま相撲を楽しむ庶民の絵が描かれたりして、文化としても根付いていった。
室町時代には将軍家や諸国の大名が相撲見物をしたことが記述されており、娯楽としての相撲が根付く土壌ができていた。

大相撲への道を開いた江戸時代

江戸時代に入ると、寺社建立や移築の資金集めのため「勧進相撲」を開くことが流行した。
勝敗を巡って争いが絶えなかったため、禁止令が出ることも多かったのだが、1684年に寺社奉行の管理の下、職業相撲の団体が結成され、年寄による管理体制を敷くことを条件に、興業の許可が下りるようになった。
その後、京都や大坂にできた独自の職業相撲の集団もあり、江戸相撲とのコラボレーションもよく行われていたそうだ。ただ、横綱を免許制にするなどの制度改革や、徳川家斉の上覧相撲を成功させたこともあり、「江戸で土俵を務めてこそ本当の力士」という風潮も生まれた。

相撲の危機だった、明治維新と文明開花

明治時代に入ると、1872年に裸禁止令が出た。当時の日本人は和服をかなりラフに着ていたため、女性も胸が見えて当たり前だったが、西洋人はそれを嫌ったため、野蛮と思われたくない明治政府は、裸を取り締まるようになったのだ。
相撲取りもその対象となり、一時は相撲自体を廃止することも検討された。しかし、明治天皇が相撲好きだったこともあり、1884年には天覧試合が開催され、大相撲は再び公に興業ができるようになった。また、大関の名誉称号にすぎなかった横綱を番付のトップに据えたのもこの頃からだった。

現在につながる制度が確立した、明治・大正

1909年には、初の常設相撲上である両国国技館が完成した。その建物名により、この頃から相撲が国技として認識されるようになった。土俵や作法なども今とほぼ変わらぬ形式となり、1925年には現在の天皇杯が作られたこともあり、個人優勝制度が確立された。
また、その杯を作る際に下賜された奨励金を利用したのだが、菊の紋入りの優勝杯を使いたかったため、やや強引に財団法人の許可をもらって設立されたのが、現在の日本相撲協会の前身、財団法人大日本相撲協会だ。

相撲界も襲った、戦中と戦後

1928年からラジオ中継が始まり、仕切り時間制限と取り直し制度の導入など、現在のようなスポーツとしての要素が強くなった。しかし、戦争に入ると、力士も徴兵対象となったり、両国国技館が大日本帝国陸軍に接収されたりして、相撲界も大きな痛手を負った。
戦後、紆余曲折ありながらも、1954年に蔵前国技館が完成。1984年に閉館して現在の両国国技館に移るまで大相撲の舞台となる。1950年には横綱審議委員会が発足、1957年にはテレビの普及に伴って中継が始まり、年間の場所数も増えて現在と同じ6場所制となった。

平成、そしてこれからの大相撲は?

嵐のような若貴ブームの後、外国人力士の活躍が目立ち始めるようになった。
白鵬や日馬富士といったトップクラスの外国人力士が猛威を振るい、大相撲を盛り上げている。
地方巡業だけでなく、海外巡業も行うようになり、海外にも熱心なファンがいる。
残念ながら、2011年2月に八百長問題が明るみになったが、2014年には公益財団法人日本相撲協会として再スタート。 今後、ますますの発展が楽しみだ。

まとめ

大相撲は、このように長い歴史の中で今の形が作られ、国技と認められてきた。 このような歴史的背景を知ると、いつもと違った視線で観戦できるかもしれない。