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ムードメーカーとしてではない、ハリルホジッチが認める槙野智章

2017 8/17 16:20Aki
サッカーボール,イメージ画像,ⒸSPAIA
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サッカー以外でも注目を集めることが多い槙野選手

浦和レッズに所属し、日本代表にも定着している槙野智章選手は、サッカー番組だけでなくバラエティー番組にも出演することも多く、その明るいキャラクターは時にお調子者の様に見えるため、サッカー以外で話題になる事も多いサッカー選手でもある。
しかしその発言を見ていると、例えばテレビ番組で日本代表の同僚選手の事を語る時に、ほとんどの選手は代表のチームメイトで仲が良いからか「岡ちゃん」や「圭佑くん」、「真司」など普段から使っているニックネームで呼ぶことが多いのだが、槙野選手はニックネームを使わず「岡崎選手」「本田選手」「香川選手」と「◯◯選手」というサッカーにまだあまり馴染みのない視聴者のことも考えたきっちりとした呼び方を使用するなど、決して単なるお調子者ではない、クレバーな姿もうかがえる。
とはいえ、本来の性格が目立ちたがり屋である事は確か。
その為、まだ中学生だったサンフレッチェ広島ジュニアユース時代にディフェンダーにコンバートされてから一貫してディフェンスの選手であるにもかかわらず、攻撃的なプレーで注目を集めることが多い選手だった。

攻撃的なプレーで注目を集めることに

サッカーは守備の選手と攻撃の選手ではゴールという結果がハッキリ現れる分、どうしても攻撃の選手の方が注目度が高い。そんな状況に対して目立ちたがり屋の槙野選手が何もしないはずもなく、ディフェンダーでありながら攻撃参加を見せる事に。
もちろんそれはチームとして認められたものだが、試合中にディフェンスの選手にとって最大の得点チャンスであるセットプレーの場面だけではなく、流れの中で前線に上がり、時にはドリブル突破からのシュートを見えるなど、攻撃的なプレーで注目を集めるようになる。
それに拍車がかかったのが、サンフレッチェ広島に現浦和レッズ監督のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任したこと。ペトロヴィッチ監督の戦術では3バックのストッパーとしてプレーする選手には攻撃的なプレーも求められ、それが槙野選手の個性にもフィット。自分のことをディフェンシブフォワード(DFW)と称し「世界のDFで3本の指に入るくらいシュート練習をしている」とうそぶく事もあった。
そして、ペトロヴィッチ監督率いるサンフレッチェ広島は、槙野選手らディフェンダーまでもが攻撃に参加するという攻撃的な戦術で強くなっていった事もあり、自身も日本代表に選出。さらにJリーグベストイレブンにも選ばれ、ドイツ・ブンデスリーガの1FCケルンに移籍するなど、ディフェンダーながら攻撃的なプレーができる選手として広く名前が知られる様になる。
またメディアにも注目されるようになったのもこの頃で、サンフレッチェ広島が行っていたユニークなゴールパフォーマンスがきっかけだった。

本来は、スピードや高さがあり1対1の競り合いに強いファイター

槙野選手は2006年、サンフレッチェ広島の下部組織であるサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格しプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせるが、当時のサンフレッチェ広島ユースの監督を務めていたのは、現在はU-17日本代表監督を務める森山佳郎氏。
森山氏はトップチームに昇格した槙野選手の事を「身体能力が高くてスピードや高さもある、1対1の競り合いに強いファイター」だと評しており、「攻撃面に雑なところがあるので、プロ入り後はそこを日々の努力で改善してほしい」とも語っている。
そして「おちゃらけたところもあるが、コーチングに優れており練習でも常に100%を出す選手」としてユースチームではキャプテンに任命していた。
また、トップチームに昇格したシーズン途中にサンフレッチェ広島の監督に就任し、槙野選手が成長する中で最も大きな影響を与えたと思われるミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、槙野選手の事を「ディフェンダーらしいディフェンダー」だとも語っている。
つまり、攻撃面で注目を集めた槙野選手だが、元々認められていたのは競り合いの強さや身体能力の高さなどディフェンダーとしての資質。そして練習でも常に100%を出すことで森山佳郎氏からの課題である攻撃面の課題をクリアしていったのだ。
それ故に攻撃面でのプレーにもこだわるようになり、シュート練習なども積極的にトライし続けたのだろう。

特殊な選手になっていた槙野選手

しかしその槙野選手の進化は、ペトロヴィッチ監督率いるサンフレッチェ広島のサッカーが特殊であった事もあり、所属チームでの活躍ほどに日本代表で試合出場にはつながらなかった。
そして満を持しての海外挑戦となったドイツの1FCケルンでもそれは同様。ディフェンダーでありながら頻繁に攻撃参加を見せるという規格外のプレーは、ペトロヴィッチ監督の戦術以外で適正ポジションが定まらず、1年間で出場したのはわずか8試合240分にとどまり日本に復帰する事に。復帰にあたっては愛着のある古巣サンフレッチェ広島に槙野選手側から打診したものの、資金的な事情や編成的な問題で復帰に至らず、恩師ペトロヴィッチ監督が就任した浦和レッズでJリーグ復帰をすることとなる。
この復帰は槙野選手にとってもだけでなく、浦和レッズにとってもペトロヴィッチ監督の戦術をよく知る選手の加入ということでかなり大きく、両者にとって素晴らしいものとなった。
この後浦和レッズは上位争いの常連となり、槙野選手はその中心選手として再び攻守に渡りチームを牽引するプレーを見せるようになる。

ハリルホジッチ監督が評価したのは原点

しかし2015年頃から槙野選手のプレーは再び少しずつ変化を見せるようになってきている。
そしてそのきっかけの1つとなったのは、日本代表監督に就任したヴァイッド・ハリルホジッチとの出会い。ハリルホジッチ監督は就任直後、代表選手の1人1人とじっくり時間をかけて個別に面談を行っており、槙野選手はその個人面談で槙野選手は20箇所ほどの修正項目を映像を使いながら1つ1つ丁寧に指摘を受けたと言う。
その指摘を受けた内容のほとんどは守備のこと。しかしハリルホジッチは同時に槙野選手のどこを評価しているのかも丁寧に伝えており、評価している点とはスピードとデュエルの強さ。つまり槙野選手が注目を集めるようになった攻撃面ではなく、槙野選手の本質である「スピードや高さがあり1対1の競り合いに強いファイター」という部分で、指摘をした修正項目はそこをさらに改善するものだった。
以降、槙野選手は日本代表でもセンターバックで起用される試合もあるなど守備の質を高め始める事に。槙野選手の様に高さがありながらもスピードで勝負できるディフェンダーはいないので、改善が進み日本代表で出場機会を増やすようになると、日本代表のサッカーももう1つ上の段階に進んでいく可能性もある。