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努力の似合う男!中村憲剛の並々ならぬ努力とは!

2017 8/17 16:20ユタロー
サッカー,ⒸSPAIA
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川崎フロンターレでの古株

中村憲剛選手は、現在36歳の選手だ。2003年にプロ入りしてからずっと川崎フロンターレに所属しており、今年で13年目を迎えた。
試合出場回数は400試合を越えて、得点数も60点に達しようとしている。長期間、川崎フロンターレでのボランチやミッドフィルダーの要としてチームを支えてきた。年齢も36歳を超えて、川崎フロンターレの中でも、すでにベテランの域に達している。
2016年のシーズンは、中盤に怪我を負ってしまいながらも、見事に復帰し、活躍を果たしていた。10月も全治3週間のけがと診断されてしまい、川崎フロンターレの初タイトル獲得へ向けて厳しい状況であるという事には変わりないといえるだろう。ベテランながらも、レギュラー出場している選手というのは、ピッチ上にいるだけでも味方選手の士気があがり、安心感を得ることができるといわれている。
そんな中村憲剛選手は、日本代表として活躍していたこともあった。2006年からオシムジャパンのA代表入りを果たし、2013までの7年間ミッドフィルダーとして活躍してきた。68試合出場しており、記憶に残っている人も多いのではないだろうか?

非常に小柄な選手だった

川崎フロンターレでの、輝かしい活躍、そして日本代表のA代表入り数々の素晴らしい記録を持っている中村憲剛選手は、決して順風満帆な日々ではなかった。古くからの川崎フロンターレや日本代表のファンであれば知っている人もいるかもしれないが、数々の苦労と努力の末に才能を見出した遅咲きの選手としても知られている。
中村憲剛選手は、小学生の時にはフィジカルに非常に何点のある選手だった。小学校6年生の時点で、身長はわずか136cmとかなり小柄なサッカー選手であり、集会などではいつも先頭に立っていたと語られている。
もちろん、小柄だからといってサッカーにおいて完全に不利になることはない。小柄ながらも何か突出したものを持っていれば、また違ったのかもしれないが、足も速くないという弱点も持っており、サッカーが好きだけれども実力はかなり低い選手というレッテルを張られてしまっていた。
現在でこそ、中村憲剛選手は身長が175cmと日本人の平均身長を越しており、体重も66kgとサッカー選手として特別フィジカルに難点があるように見えないので知らない人にとっては驚きの過去かもしれない。

ボールの壁あてをひたすら

小学生の時に、身長が低い・足が遅いという弱点と戦いながら、なんとか技術を磨いて東京選抜、関東選抜に選出された。そこで同様に選抜されたフィジカルの強い選手を見て、一度目の挫折を味わう。
ただ、このころの中村選手はまだ楽観的であり、身長も中学生になれば伸びるだろうと考えていた。当時を振り返る中村選手はこの考えが甘かったと語っている。なんと中学になっても身長があまり伸びなかったのだ。高校入学時の時点でようやく156cmになったが、それでも背の順で並ぶと1番か2番だったようだ。中村選手はこの身長が伸びなかったという悩みから、中学時代はあまりサッカーをしなかったといわれている。
ただ、クラブチームに所属していなかったというだけで、サッカーが嫌いになったわけでもなく、小学校時代から続けて壁あてを重点的に練習を継続していた。家の近くの壁を使って、戻ってきたボールをトラップしてという動作を繰り返し行っていたようだ。この練習は非常にシンプルな練習だが、的確にトラップする力を着実につかむことができ、今のポジションの基礎を作ったそうだ。
この練習を何年も行っていたことから、壁は一部分だけ剥げてしまい、足にも「けりダコ」と呼ばれるタコができてしまったといわれている。

監督も驚きの現在

中村選手は高校に入学すると再びサッカーをやることを決意する。やっぱりサッカーが好きだったと中村選手は当時を振り返って語っている。その中で、都立高校の中でも強豪校である久留米高等学校へ入学してサッカーを始めた。先ほど紹介したとおり、高校でも160cmもなかった中村選手は、相変わらずフィジカル面での弱点を背負っていた。
当時の久留米高校のサッカー部監督だった山口隆文監督に相談しても、「自分で考えてみろ」とアドバイスを受ける。今ではそのアドバイスの重要性がわかる大人になっているが、まだ高校生になった当初だと明確な答えがなくて悩んでしまう。
だが、ここでこのアドバイスをしてもらうことにより、教えられるだけでなくどうすればつぶされずにボールをキープできるのかを真剣に考えるきっかけとなったのだった。高い壁にぶつかっても、何とかそれを這い上がるための思考力を身に着けることができたのだ。
山口監督は、当時の中村選手を見て、プロになり、さらに日本代表に至るまでの力があったことを非常に驚いていたようだ。今でこそ、高さのある選手となったが、高さがないことで悩んでいる選手がプロになれるわけがないと感じていたようだ。

サッカーが好きだからこそ

高校でメキメキと実力をつけた中村選手だったが、それでも彼の前にたくさんの壁が立ちふさがる。
サッカーの名門校である、中央大学にスポーツ推薦で入学した中村選手は、大学3年生で、なんとサッカー部の主将に選出される。だが、大学2年の時に50年以上守り続けてきた、関東リーグ1部の座を明け渡してしまう。1部リーグを落としてしまったチームをまとめ上げるのは、モチベーションを含めて非常に難しいものだ。
この時、中村選手はスカウトの目にも止まらないだろうと半ばあきらめていたそうだ。それでも、チームが勝つことをあきらめきれずに見事1年で一部リーグ復帰を果たしたのだった。この時の功績から現在の川崎フロンターレの目に留まって、プロの世界に足を踏み入れたのだった。
中村選手には、これまで数々の壁が立ちふさがった。時には、挫折してサッカーを辞めたくなったこともあるそうだ。それでも、今までサッカーを続けることができたのは、ひとえにサッカーが好きだという気持ちが、挫折を上回ったからのようだ。
2016年は、けがの多いシーズンとなったが、それでも日本代表のバックアップメンバーになるという話もあがった。これからも中村選手の活躍をたくさん見ていきたい。