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アビスパ福岡の歴代ユニフォームまとめ

2016 11/25 20:06
サッカーボールⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

アビスパ福岡のユニフォームにスポットを当てたいと思う。Jリーグ初年度から現代に至るまでの歴代ユニフォームの変遷をたどる。

【1996~98年のユニフォーム】九州初のJリーグクラブが誕生!

Jリーグデビューは1996年。初年度15位、2年目は17位、3年目は18位となかなか苦しい船出となった。成績は振るわずJリーグ2部制移行に伴い、1998年に開催されたJ1参入決定戦に出場することに。川崎フロンターレを延長で下した試合は「神を見た夜」と呼ばれ、今でもファンの心に刻まれている。この年から3年間のユニフォームは、シルバーをメインカラーに、ネイビーとエメラルドグリーンのストライプが入ったもの。コカコーラ・ウェストがスポンサーだったため、缶コーヒーの「GEORGIA(ジョージア)」のロゴを胸に戦った。

【2004年のユニフォーム】1stユニフォームがブルーに変更

J2でも低迷を続けていた2003年に松田浩が監督に就任。一発勝負ではなく長期ヴィジョンを立ててのチーム強化とJ1復帰を目指す体制が完成する。2005年にはチームは5年ぶりのJ1復帰が決定。合計3シーズン半に渡り監督を務め、チームの底上げに成功した。ユニフォームに関する大きな変更は2004年。1stユニフォームのメインカラーがシルバーからブルーに変更になったのだ。それまでのシルバーは2ndユニフォームで使用されることになった。

【2010年のユニフォーム】通販でおなじみのあの企業が胸スポンサー

J1生活はわずか1年で終わりを告げ、またしてもJ2生活に逆戻り。成績不振を理由に解任されたリトバルスキー監督の後を受け、2008年シーズン途中からOBである篠田善之が監督に就任した。中町公祐や丹羽大輝などJ1クラブからレンタルで加入した若手を中心にしたチーム編成で、見事に復活を遂げたアビスパは2010年のJ2リーグを3位でフィニッシュ、5年ぶりとなるJ1復帰を決めた。
この年のユニフォームで目を見張るのは、胸部分に入った通販でおなじみ「エバーライフ皇潤」のロゴ。実は福岡生まれの企業で、同郷のプロ野球・福岡ソフトバンクホークスのスポンサーも務めていた。

【2015年のユニフォーム】アパマンマネーで経営体制がV字回復!

アパマンショップホールディングスの川森敬史が社長に就任。経営状態が大きく改善した。元日本代表の井原正巳が新監督となり、リオ五輪代表にもなった中村航輔や亀川諒史を期限付き移籍で獲得、充実した戦力でシーズンを戦った。リーグを3位で終えるもプレーオフを勝ち抜いてJ1昇格を決めた。
この年からフットサルブランドのアスレタと契約。濃い青をベースに首から胸にかけてのグラデーション柄がアクセントとなっている。よく見れば炎の柄、これは勝利への情熱を意味しているとのことだ。胸部分スポンサーには地元デベロッパーである「福岡地所」、袖には明太子の「ふくや」が入り、地域に愛されるクラブ体制が整った1年となった。

【2016年のユニフォーム】久々のJ1シーズンを戦う井原体制2年目

2期連続の赤字・債務超過というダブルパンチからアパマンマネーでV字回復を遂げ、ようやく掴んだJ1への切符。待望のJ1の舞台を戦う2016年のユニフォームは、昨季と変わらず胸部分スポンサーを「福岡地所」が務めている。2015年のユニフォームをベースに、藤枝ブルックス時代のチームカラーだった藤色が差し色として織り込まれているほか、チームとサポーターの勝利への情熱を表現するストライプがアクセントになっている。また今年から解禁となった腰部分には「E保険」が入っている。

まとめ

資金難に陥った時には、スポンサーである「ふくや」がアビスパ支援明太子パッケージを販売するなど、人情に厚い福岡ならではのエピソードもある。決して強豪クラブではないけれど、スポンサーがすべて埋まったユニフォームを見るのは、ファンとしても嬉しいこと。昇格した翌年に降格してしまう「エレベータークラブ」としてのイメージを払拭できるかどうか、アビスパ福岡の今後に期待したいところだ。