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サッカー日本代表で背番号13を背負った歴代の選手を紹介

2022 2/1 17:29
大久保嘉人,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

サッカーで背番号13をつける意味とは?

サッカーは基本的に1チーム11人でプレーするため、11番以降の背番号に特別な意味はあまりないかもしれない。海外では13という番号自体、あまり好まれるものではないため、自ら背番号に選ぶ選手も多くはなかった。

背番号13をつけた代表選手といえば、元西ドイツのストライカーであるゲルト・ミュラーが有名だ。不吉な番号を気にすることなく「爆撃機」と呼ばれた高い得点力で恐れられていた。

サッカー日本代表背番号13:豊富な運動量で活躍した服部年宏

服部年宏は1973年、静岡県で生まれ、東海大一高から進学した東海大を中退して1994年にジュビロ磐田に加入した。様々なポジションを務めるユーティリティープレーヤーとして活躍し、東京ヴェルディからガイナーレ鳥取、FC岐阜と渡り歩き、2013年に現役引退した。

日本代表としては、国際Aマッチに44試合出場。悲願の初出場となった1998年のフランスワールドカップで背番号13をつけていた。

サッカー日本代表背番号13:背番号13といえば柳沢敦

柳沢敦は1977年、富山県で生まれ、富山第一高から1996年に鹿島アントラーズに加入。1998年に22得点を挙げるなどエースとして活躍し、2003年からイタリア・セリエAのサンプドリアとメッシーナでプレーした。

2006年に再び鹿島アントラーズに復帰し、京都サンガ、ベガルタ仙台とわたり歩いて2014年に引退した。得点感覚に優れ、ボールを持っていない時の動きにも定評のある選手だった。

日本代表としては国際Aマッチに通算58試合出場して17得点。2002年の日韓共催ワールドカップや2006年のドイツワールドカップに13番を背負って出場した。日本代表の背番号13といえば柳沢敦を思い出すファンも多いのではないだろうか。

サッカー日本代表背番号13:DFで活躍した岩政大樹

岩政大樹は1982年、山口県出身。岩国高から東京学芸大を経て2004年に鹿島アントラーズ入りした。

2013年までの10年間を鹿島でプレーし、2014年にタイのBECテロ・サーサナFCに移籍。さらに翌2015年にファジーノ岡山、2017年に東京ユナイテッドFCに選手兼コーチとして移籍し、2018年に引退した。

日本代表としては通算8試合の国際Aマッチに出場。2010年に南アフリカで行われたワールドカップで背番号13をつけた。

サッカー日本代表背番号13:3年連続得点王の大久保嘉人

1982年、福岡県生まれの大久保嘉人。長崎・国見高時代にインターハイ、国体、選手権の高校三冠を達成し、インターハイで10得点、高校選手権で8得点を挙げて得点王に輝いた。

2001年にセレッソ大阪でプロのキャリアをスタートさせ、スペインのマジョルカやドイツのヴォルフスブルクでもプレー。ヴィッセル神戸を経て移籍した川崎フロンターレでは2013年から2015年まで3年連続でJリーグ得点王に輝いた。

その後、FC東京やジュビロ磐田、東京ヴェルディなど移籍を繰り返し、2021年に古巣セレッソ大阪に15年ぶりに復帰。J1通算191ゴールの最多記録を樹立して2021年限りで引退した。

日本代表としては国際Aマッチ60試合出場6得点。2014年のブラジルワールドカップで背番号13をつけていた。

サッカー日本代表背番号13:3年連続得点王の武藤嘉紀

武藤嘉紀は1992年、東京都生まれ。慶応義塾大在学中にFC東京に加入し、2015年にドイツ・ブンデスリーガのマインツに移籍すると、その後、プレミアリーグのニューカッスル、スペインのエイバルと欧州リーグをわたり歩いた。

2001年8月にヴィッセル神戸に移籍。同時に加入した大迫勇也とともに、スコットランド・セルティックに移籍した古橋亨梧の穴を埋める活躍を見せ、リーグ3位躍進に貢献した。

日本代表としては国際Aマッチ29試合出場3得点。2018年のワールドカップロシア大会で13を背負った。

2022年のカタールワールドカップを目指す日本代表で現在、背番号13をつけているのは守田英正。これから偉大な系譜を受け継ぎ、どんな活躍を見せてくれるだろうか。

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