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サッカー日本代表で背番号12を背負った歴代の選手を紹介

2022 2/17 21:29
権田修一,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

サッカー日本代表として、日の丸の付いたユニフォームを着てフィールドに立つ選手たち。国を代表してプレーする姿はいつみても凜々しい。サッカー日本代表で背番号12を背負った歴代の選手たちを紹介する。

サッカーで背番号12をつける意味とは?

例外もあるが、近年ではサッカーの背番号は基本的に選手たちのポジションを表していることが多い。1番だとゴールキーパー、2番だとディフェンス、というように数字が大きくなるにつれて定位置がフィールド中央に近づいていく。

しかし、1チーム11人しか出場できないサッカーで背番号12番というのはどのポジションにも属していない。日本には「チームを応援してくれるサポーターの背番号」として、12番を使用するという考え方がある。海外で背番号12を付けている選手は大勢いるが、特に大きな意味はないようだ。

サッカー日本代表背番号12:引退後指導者になった呂比須ワグナー

1969年にプラジル・サンパウロ州で生まれた呂比須ワグナー(ろぺすわぐなー)は、1987年にサンパウロのクラブチームから日本の日産自動車サッカー部に入団。2002年まで日本クラブチームをわたり歩き、2002年に現役を引退した。その後、2010年から指導者としてのキャリアをスタートさせた。

日本代表として国際Aマッチに通算20試合出場し、5得点している。1998年に出場したFIFAワールドカップフランス大会では背番号12を付けてプレーした。

サッカー日本代表背番号12:W杯本戦でプレーした城彰二

1975年、北海道出身の城彰二。鹿児島実業高校サッカー部時代はチームメイトに前園真聖や遠藤彰弘がいた。

高校卒業後はジェフユナイテッド市原に入団し、プロとしてのキャリアをスタート。デビュー戦から4試合連続でゴールを決め、チームを代表する選手となった。また、1998年に本戦に駒を進めたワールドカップフランス大会では、日本代表のストライカーとして活躍した。

サッカー日本代表背番号12:ゴールキーパーの土肥洋一

1973年、熊本県出身の土肥洋一。柏レイソルからFC東京を経て東京ヴェルディとわたり歩き、ゴールキーパーとして活躍した。2013年の現役引退表明後は、主にゴールキーパーを育成するコーチとして活動している。

2006年ワールドカップドイツ大会で日本代表に選ばれ、背番号12を付けてプレーしている。国際Aマッチには通算4試合出場した。

サッカー日本代表背番号12:浦和レッズの守護神・西川周作

1986年に大分に生まれた西川周作は、高校卒業後の2005年に大分トリニータでプロとしてのキャリアをスタートさせ、すぐに正ゴールキーパーとなった。その後はサンフレッチェ広島に移籍し、現在は浦和レッズのゴールキーパーとして活躍している。

日本代表としては、2013年のコンフェデレーションズカップから背番号12を背負ってフィールド上に立つことが多くなった。これまで国際Aマッチには31試合出場している。

サッカー日本代表背番号12:清水エスパルスの守護神・権田修一

1989年、東京都出身の権田修一はゴールキーパーとしてFC東京U-15からトップチームへ昇格し、オーストリアのSVホルンやポルトガルのポルティモネンセでもプレーした。現在は清水エスパルスで守護神として活躍している。

日本代表としても国際Aマッチ30試合に出場。世界の強豪相手に日本のゴールマウスを守っている。

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