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サッカー日本代表で背番号7を背負った歴代の名選手、背番号7の意味とは?

2022 10/19 06:00SPAIA編集部
柴崎岳,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号7の意味とは?

かつてサッカーの背番号はポジションを示していたこともあり、現在もその名残からある程度、固定された印象がある。背番号が導入された19世紀末から20世紀初頭までは2―3―5のフォーメーションが主流で、GKの1番から順に左ウイングの11番まで決めていた。現在では自分の好きな数字を選ぶ選手もいるが、元々7番は右ウイングだったことから今でもサイドアタッカーや攻撃的なポジションの選手が多い。

攻め込むタイプの選手が多いことから、7番は比較的、目立つ背番号と言えるかも知れない。近年ではクリスティアーノ・ロナウドが代表的だろう。

中田英寿

日本代表の背番号7を長らくつけていたのが中田英寿だ。A代表には1997年から2006年までの10年間、欠かせない司令塔として招集されていた。U-15から含めると1991年から選ばれ続けている実力者だった。

日本が初めて出場した1998年のフランスワールドカップでは背番号8をつけて活躍し、大会後にセリエA・ペルージャへ移籍。それ以降はローマやパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナと主にイタリアでプレーした。

日本代表では7番を着用して、2002年の日韓大会でベスト16入りに貢献。2006年のドイツ大会ではグループリーグで敗退してピッチに仰向けに倒れ込んだシーンは有名だ。同大会を最後に29歳で現役を引退した。

引退後はサッカー以外の仕事もこなし、マルチな才能を発揮している。

遠藤保仁

日本代表で最も7番のイメージが強いのが遠藤保仁ではないだろうか。遠藤は2002年から2015年まで日本代表として史上最多の国際Aマッチ152試合に出場し、15得点をマーク。2007年から2015年まで背番号7を背負っていた。

遠藤は海外チームへの移籍経験はなく、横浜フリューゲルスを皮切りに、京都パープルサンガ、ガンバ大阪、ジュビロ磐田と国内チームでプレーを続けている。A代表の出場が多いのも、国内でプレーを続けたことと無関係ではないだろう。

ワールドカップには3度出場。そのうち2010年南アフリカ大会と2014年ブラジル大会は背番号7で出場している。

柴崎岳

遠藤から日本代表の背番号7を受け継いだのが柴崎岳だ。青森山田高から鹿島アントラーズに加入し、2011年4月にJリーグデビュー。2017年にスペイン2部のテネリフェへ移籍し、現在は同じくスペインのレガネスでプレーしている。

日本代表では2014年8月のベネズエラ戦でデビューし、初ゴールも記録。2018年6月のロシアワールドカップではベスト16入りに貢献した。国際Aマッチ通算59試合に出場している。

ほかにも井原正巳や堀池巧、本田泰人、伊東輝悦、石川直宏、倉田秋、遠藤渓太、野津田岳人らが背負ってきた日本代表の背番号7。カタールワールドカップでは誰が背負うのか注目だ。

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