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サッカー日本代表で背番号5を背負った歴代の名選手、背番号5の意味は?

2022 10/21 06:00SPAIA編集部
長友佑都,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号5の意味とは

サッカーの背番号5はDFに多い番号だ。背番号が導入された20世紀初頭に主流だった2-3-5のフォーメーションで、GKから1番、右バック2番、左バック3番とポジションごとに割り振り、左ウイングの11番までを固定。当時のフォーメーションではセンターハーフが5番だったが、3バックや4バックが当たり前の現代サッカーでは5番はDFの番号として定着している。

海外では元西ドイツ代表の「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーが背負っていたことでも有名。もちろん、すべての選手が当てはまるわけではないが、一般的には守備的な選手のイメージが浸透している。

稲本潤一

2002年の日韓共催ワールドカップで背番号5をつけたのが稲本潤一だ。ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、当時史上最年少の17歳6カ月でJリーグデビュー。2001年からプレミアリーグのアーセナルに移籍し、海外リーグをわたり歩いた。

日本代表では日韓ワールドカップのベルギー戦とロシア戦でゴールを決めてベスト16入りに貢献。2006年のドイツワールドカップには背番号17で出場した。国際Aマッチ通算82試合に出場し、5得点を挙げている。

稲本は43歳の現在も現役。「キャプテン翼」の原作者・高橋陽一が代表を務める関東1部・南葛SCでプレーしている。

宮本恒靖

宮本恒靖は「フラット3」を統率するセンターバックとして記憶している方も多いだろう。2002年の日韓ワールドカップでは、鼻骨骨折した顔面を守るために黒いフェイスガードを着用してプレーし、「バットマン」と呼ばれた。

2006年のドイツワールドカップにも出場。U-17からA代表までの全カテゴリーで主将を務めるなどキャプテンシーのある選手だった。

引退後は2018年7月から約3年間、ガンバ大阪の監督を務めた。

槙野智章

槙野智章は2006年にサンフレッチェ広島でJリーグデビュー。2010年12月にドイツのケルンに移籍し、2012年1月に加入した浦和レッズでは10年間プレーした。2022年からヴィッセル神戸に移籍している。

日本代表では2013年、2015年の東アジアカップなどに背番号5で出場。2018年のロシアワールドカップでは背番号20をつけた。国際Aマッチ通算38試合に出場している。

長友佑都

日本代表の背番号5を長く背負っているのが長友佑都だ。東福岡高から明治大を経てFC東京でプロデビューし、2010年の南アフリカワールドカップに左サイドバックとしてフル出場して評価を高めた。

大会後にイタリア・セリエAのチェゼーナに移籍し、インテル・ミラノでは約7年間プレー。トルコのガラタサライ、フランスのマルセイユを経て2021年9月に古巣・FC東京に復帰した。

日本代表では2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会とワールドカップ3大会に出場。国際Aマッチ通算137試合に出場している。

長友は36歳のベテランということもあり、豊富な経験を支持する声とプレーの衰えを指摘する声が入り交じる。カタールワールドカップでも5番を背負うことになるのか注目だ。

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