受け継がれる遺伝子!ドーハの悲劇組の二世選手達 | SPAIA

受け継がれる遺伝子!ドーハの悲劇組の二世選手達


サッカー

Photo by EsraKeskinSenay/ Shutterstock.com

1994年アメリカワールドカップを賭けたアジア地区最終予選でサッカー日本代表はドーハの地で涙をのみました。日本中が失望に包まれた「ドーハの悲劇」です。現在、ドーハ組の二世選手達がサッカー界で活躍しているのをご存知でしょうか。サムライブルーの遺伝子を受け継いだ男たちをご紹介します。

日本代表史上最高の左サイドバック!?都並敏史二世”都並優太”

日本代表史上最高の左サイドバックとも呼ばれる都並敏史はドーハの悲劇で悔しい思いをした一人です。その悔しさは試合に負けた悔しさとはまた違うものでした。都並は最終予選のメンバーに入っていたものの左足を亀裂骨折しておりドーハの悲劇にも出場はしていません。”都並がいれば…”と思ったファンも多かったことでしょう。
その都並敏史の遺伝子を受け継ぐ息子である都並優太は現在J3のAC長野パルセイロに所属しています。2015年シーズンは28試合に出場しチームに貢献したものの2016年シーズンはチームの体制が変わり出場機会に恵まれていません。しかし、父親譲りの負けん気でレギュラーを勝ち取ってもらいたいものですね。

アジアの大砲こと高木琢也二世”高木利弥”

ハンス・オフト監督時代の日本代表で高木琢也はポストプレーを得意とし且つ豪快なシュートを得意としています。中でも1992年アジアカップ決勝で胸トラップからのボレーは伝説となっています。ドーハの悲劇では三浦知良と中山雅史、長谷川健太が先発出場し武田修宏が交代選手として出場していたため高木琢也はベンチから敗戦を経験しました。
その高木琢也の息子である高木利弥はJ2のモンテディオ山形のDFとして活躍しています。父がセンターフォワードだったのに対し高木利弥がDFというのも面白いですね。

GKコーチだったディド・ハーフナー二世”ハーフナー・マイク”

日本代表としても活躍している長身FWハーフナー・マイクの父はJリーグ初期に活躍したディド・ハーフナーです。そのディド・ハーフナーは選手としてではなくコーチとしてドーハの悲劇を経験しました。試合終了後に呆然とするGKの松永成立の肩に手を置き声をかけたシーンは印象に残っています。当時の想いをディドはマイクにどう伝えているのでしょうか。親子の絆は知る機会もありませんがマイクが代表のユニフォームを着るときは色々な思いを胸に秘めているはずです。
残念ながらワールドカップへの出場はないマイクですが2018年を目指して結果を残して欲しいと思います。

日本初のボランチ!?森保一の息子!”森保翔平”

森保一はドーハの悲劇時に監督であったハンス・オフトの申し子と呼ばれていました。守備的ミッドフィルダーである”ボランチ”をこなし日本にボランチという言葉を定着させたのも森保一と言えるでしょう。
その森保一の息子である森保翔平は2015年シーズンまでカタマーレ讃岐で活躍していました。しかし、2015年シーズン終了とともに自由契約となり2016年シーズンは所属チームがないままシーズンが始まってしまいました。まだ若いのでもう一度、Jリーグの舞台に立ってほしいですね。

まとめ

ドーハの悲劇から23年が経ち日本代表は大きく変わりました。あの経験があったからこそ日本代表は強くなったとも言えるのではないでしょうか。そしてその当事者たちの二世選手たちがサッカー界で活躍するのを見て色々な思いを巡らせるのもサッカーの良さの一つですね。

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試合経過・結果

5/25 23:16更新

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