大学ラグビーの黎明期 その歴史について | SPAIA

大学ラグビーの黎明期 その歴史について


ラグビー

Photo by sainthorant daniel / Shutterstock.com

2019年開催のワールドカップを前に、先の2015ワールドカップでの日本代表の活躍が、記憶に新しいところですがともすればトップリーグよりも根強いファンが多い大学ラグビー、そのルーツや歴史について紹介します。

日本のラグビーの祖 エドガー・B・クラーク氏と田中銀之助氏

1899年(明治32年)、今からおよそ110年ほど前に慶應義塾大学の英文学教員のエドガー・B・クラーク氏が塾生に初めてラグビーを指導しました。それは夏の終わりから秋冬にかけて塾生たちが何もすることがないようにみえたからだそうです。野球のシーズンが終わり、退屈を持て余す彼らにその季節にできる屋外でのスポーツとして、ラグビーを推奨しました。教育者として、生徒たちには健全に過ごして欲しかったのでしょう。当時の塾生たちは余程、のらくら、ダラダラしていたのでしょうね。
クラーク氏は自信の日本語に不安があり、友人の田中銀之助に協力をもとめたのです。ケンブリッジ大学から留学を終えて帰国した田中氏は快諾し、熱意をもって塾生の指導に当たったそうです。ちなみに、クラーク氏は横浜生まれで父親はパン屋を営んでいたそうです。ケンブリッジ大学に留学後、日本に戻り教職に就きました。慶応義塾の後も、英語の教授として生涯を日本で過ごしました。当時は15人を集めるのも大変で、競走部の足の速い人や、体の大きな人を集めて練習をしていたようです。
クラーク氏は後に、自分が30数名に教えたラグビーが、日本全国にひろまり、ましてや外国の選手と戦って勝つ日がくるなど夢にも思わなかったと手紙に書いています。

ルーツは負けない 学習院大学ラグビー部

エドガ・B・クラーク氏とともに、ラグビーを日本人に伝えた田中銀之助氏は、学習院大学の出身でした。
慶応でラグビーを教えるにあたり相手がいないと試合になりません。そこで慶応義塾と同じ時期に学習院でもラグビーの指導があったのです。また、日本ラグビー協会初代会長を務め、ラグビーの普及に大きく貢献した高木嘉寛氏も学習院の出身でした。
学習院のラグビーの創立は昭和3年とされていますが、それは昭和51年に当時のOB会を組織立ったものにしようということになり、第一回総会で創立をいつにするかという話し合いの中で、昭和3年1月28日に成城学園高校と試合をした記事が東京日報に掲載されていたことから、丁度50周年になるし、昭和3年に決まりました。

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