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「自由」を貫くWRESTEL-1の自称エース、KAI選手の魅力

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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Photo by 977_ReX_977/Shutterstock.com

デビュー以降、実力やルックスでは優れたスター性を持っているものの、今ひとつキャラ立ちができずに迷走を続けていたプロレスラーKAI選手。 彼が全日本プロレスを経てWRESTEL-1で「自由」を掲げて輝きを増すに至った経緯について紹介していきます。

自称「プロレスマニア」のKAI選手

1983年生まれで横浜市出身のKAI選手は、元々野球部でプロレスには興味を持っていなかったものの、懸賞で手に入れたプロレスのチケットで新日本プロレスを観戦したことがきっかけで、プロレスに傾倒していくことになります。
KAI選手自身もプロレスマニアを自称し、総合格闘技のような単純な勝ち負けではないプロレスの世界観に競技としての魅力を感じているそうです。プロレスラーとなるため高校2年生の時に柔道部に入部。新日本プロレスの入団テストは不合格となったものの、アニマル浜口ジムで3年半鍛え、2006年に開かれた新人オーディション「武藤塾」に合格してプロへの第一歩を歩み出しました。

メキシコ修行を経て全日本プロレスで金星を挙げて注目株に

KAI選手は、オーディション合格の翌年、2007年にメキシコへ修行に出て、現地でプロレスデビューして勝利を飾りました。同年には武藤祭で世界ジュニア王者の土方隆司選手、ジュニアリーグでは元王者のシルバー・キング選手を破る金星を挙げて優勝。全日本プロレスの若手ポープとしてがぜん注目が高まりました。
この間、デビューから1年半という間もない期間で世界ジュニア王座に挑んだKAI選手でしたが、その壁は厚く、初挑戦から3度目となる2011年にようやく近藤修司選手からベルトを奪取することができました。

2012年にヘビー級へと転向したKAI選手

KAI選手がヘビー級へと転向したのは2012年でした。前年のジュニア・ヘビー級のリーグ戦において初王者という栄冠を手にし、翌年に連覇を逃した後に迎えたヘビー級選手との闘いで体力面でついていけなかったことがきっかけとなり、転向へ向けた体づくりのために無期限の欠場を決めました。
半年以上の欠場を経て、2013年春にヘビー級転向後初となる試合が組まれ、真田聖也(さなだせいや)選手を相手に勝利。チャンピオンカーニバルでも、秋山準選手に敗れたものの、初出場ながら準優勝を果たして進化した一面を見せました。

武藤敬司に追随して「WRESTEL-1」の自称エースに

2013年夏、全日の取締役会長を辞めた武藤敬司選手が、近未来的なプロレスへの志向を掲げて新団体「WRESTEL-1」を設立。「武藤さんがいたからやってこれた」と、彼に追随する形でKAI選手もWRESTEL-1に参戦し、15年に武藤敬司選手を破って第3代チャンピオンとなりました。
W-1のチャンピオンは2016年までに計3回(3、5、8代目)獲得していますが、同年8月に開催されたチャンピオンシップ戦では稲葉大樹(いなばだいき)選手に敗れて王座から陥落しています。

パフォーマンス下手から脱却するため「自由」を叫ぶ

WRESTEL-1では「自称エース」という位置付けになっているKAI選手。全日時代も最速となる王座への挑戦や、WRESTEL-1でも3度の王座に就いているものの、評価が追いつかない形となっています。
その理由として挙げられるのが、「パフォーマンス下手」であり、真面目な性格からキャラ立ちできずにいたことです。近年ではそこから脱却を図るため、リングで「自由」と叫び続けながら闘い続けており、ファンはその姿に戸惑いながらも、迷走する姿にいつしか「らしさ」を感じるようになっていきました。

まとめ

プロレスラーとしての才能は認められるものの、プロレスラーに必要なパフォーマンス能力に欠けているが故に観客受けが悪かったKAI選手。 そんなポジションから脱却するために「自由」をうたう姿に唖然としつつも、その意味不明なガムシャラ感に魅力を感じ始めたファンも多いのでしょう。 KAI選手の新境地に今後も期待して注目しましょう。