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伊藤みどりの輝かしい功績について

2016 9/29 01:32
伊藤みどり
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Photo by Vit Kovalcik / Shutterstock.com

様々なフィギュアスケート選手について知りたいと思わないだろうか?伝説の選手、伊藤みどりさんの功績を紹介する。

伊藤みどり プロになるまでの生い立ち

伊藤みどりは愛知県名古屋市出身、兄と妹がおり三人兄妹の真ん中として1969年に生まれた。スケートを始めたきっかけは、家族で遊びに行った近所のスケートリンク(名古屋スポーツセンター)に通いはじめたことだった。また、全日本選手権を8連覇した渡部絵美選手への強い憧れだったそうだ。12歳当時の彼女の目標は、世界選手権やオリンピックで入賞そしてメダルを取ること、夢はアイスショーへの出演を果たすことだった。
東海女子高等学校卒業後は同校の女子短期大学に進学し、その後はプリンスホテルに就職している。プロに転向後も、日本のプリンスアイスワールドでの活動を選択している。

彼女が残した功績

1980年3月、当時小学校4年生の伊藤みどりは全日本ジュニア選手権にて優勝に輝く。同年11月に行われたNHK杯で特別出場をして、その演技が日本全国に放送されたことにより彼女の存在が国民へ知られるようになった。1985年から1992年まで全日本選手権にて史上最高8連覇を達成している。
1989年の世界選手権では日本人初・アジア人初の世界チャンピオンに輝き、審査時には技術点で6.0満点を出したこともあわせて、このプログラムはフィギュアスケート史に残るものとなっている。アルベールビル五輪では日本女子二人目のメダルとなる銀メダルを手にしている。同年には「もっとも高得点をとったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載された。

現役引退後、伊藤みどりの進む道とは

一度は引退したものの日本スケート連盟の要請を快諾し復帰を決意した彼女は、長野五輪において聖火の点灯という役割を担った。その後1996年11月に二度目のアマチュア引退を表明した伊藤みどりさんは26歳と5か月まで、途中引退を挟んでいるが、現役としてトリプルアクセルを跳んでいたことが公認されている。
2004年には日本人として史上初めてとなる世界フィギュアスケート殿堂入りを果たした。また2007年には国際スケート連盟 (ISU) が「伊藤みどり選手はたった一人の力で全世界の女子フィギュアスケートを新しい世代、そして21世紀へと導いた」との高い評価に基づく声明を発表している。引退後はフィギュアスケートの解説者として活動をしていたが、2009年に一般男性と再婚し、現在に至るまで福岡で静かに幸せな家庭生活を営んでいる。

まとめ

「天才少女スケーター」と幼いころから呼ばれその他にも「元銀盤の女王」「ジャンプの天才」やなど数多くの異名をもつ伊藤みどり選手について生い立ちや功績について調べた。
若い世代の人は伊藤選手のことをあまり知らない人もいるかもしれないが、このような伝説的な存在をもっともっと新しい世代に語り継いでいきたい。