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日米ハーフのスケーター 長洲未来の功績について

2016 10/19 19:05
長洲未来
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Photo by Aija Lehtonen / Shutterstock.com

日本人でもあり、アメリカ人でもある長洲未来のことを知りたいと思うあなたに生い立ちや功績を紹介する。

長洲未来の生い立ち

長洲 未来は1993年に、寿司店をロサンゼルスで営む日本人両親のもとに生まれる。もともとはスケートではなく、両親とゴルフを習っていた。しかし、5歳の時に悪天候の日にゴルフの代わりに近所のスケートリンクに遊びに行ったことがきっかけでスケートをすることになる。アメリカで生まれ育っているので、日本国籍とアメリカ国籍を持っていた。
日本スケート連盟からの移籍を打診されたりしたが、アメリカの選手としてスケートを続けている。自らのことを「日本が大好きなアメリカ人」と表現していて、「2つの国の・から応援してもらえる境遇にある私はすごくラッキーだ」とも言っている。

長洲未来のジュニアの成績

2002-2003年のシーズンから全米選手権予選に出場しはじめたが、2006-2007シーズンで、全米選手権本選に初めて出場をして、ジュニアクラスで優勝をする。初めて出場した国際大会の世界ジュニア選手権では、2位となり次第に頭角を現す。翌年のシーズンはISUジュニアグランプリに参戦をして、1戦目レイクプラシッドで初優勝、2戦目のクロアチア杯でも優勝をして、初出場のファイナルでも優勝した。
さらに全米選手権のシニアクラスで優勝をして、全米ジュニア・シニアタイトルを連続で獲得するのは、70年ぶりの快挙となった。

長洲未来のシニアでの成績

2008-2009シーズンはから、シニアに移行したが、けがなどから2年程、不調に終わり、2010-2011シーズンは、けがもあったが、中国杯は4位、エリック・ボンバール杯は2位となり、GPシリーズは、参戦3年目にして初のメダルを獲得した。全米選手権は3位、四大陸選手権ではFSのパーソナルベストを更新し、3位となった。2011-2012シーズンには、ネーベルホルン杯で、シニアの国際大会で初優勝をした後、コーチや練習拠点を変える。一時期、岡山に滞在して無良隆志氏にコーチをしてもらったりと、技術を磨いていく。

長洲未来の近況から未来へ

2015-2016シーズンの四大陸選手権では2位となり、5年ぶりのメダルを獲得した。この時、バンクーバーオリンピック以来の6年ぶりの、総合得点で自己ベストを更新した。また、2016年4月におこなわれた ISU世界フィギュアスケート選手権2016では、総合で10位だったが、ほぼノーミスの演技で終わることができた。
そしてなにより、観客の温かい歓声から、彼女が愛されていることがよくわかった。長洲未来は、まだ23歳なので、彼女の持ち味である高い柔軟性や、得意のスピンやスパイラルシークエンスの精度を上げて表彰台に上がるのを期待している。

まとめ

Mirai Aileen Nagasuという英語名がありながら、長洲未来という日本名で、生まれ育ったアメリカの代表として、戦い続けるのは、日本とアメリカの両方の国を母国と考え、愛していることがわかる。まだ23歳、これからが楽しみだ。