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フィギュアスケート選手・村上佳菜子が残した功績~ソチ五輪に出場~

2016 10/4 00:52
フィギュア
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Photo by ID1974 / Shutterstock.com

これからの女子フィギュアスケート界を支える村上佳菜子にスポットを当てたいと思う。
まだまだ若い彼女がこれまでに残してきた功績、そして今後の展望を含め紹介する。

【村上佳菜子の生い立ち】努力を重ねて小6で3回転を跳んだ実力者

1994年に名古屋で生まれ、3歳でスケートを始めたという村上佳菜子。先にスケートを習っていたお姉さんのレッスンについていったことが、彼女とスケートとの出会いだった。ジュニア時代から山田満知子コーチに師事し、トレーニングに打ち込んでいく中でめきめきと実力をつけていく。小学6年生の頃には3回転アクセルを習得したという大器の片鱗を見せている。
同郷で先輩にあたる浅田真央は彼女にとって憧れの存在。注目を集め始めた頃から比較されることもあるが、村上本人は、決して才能に恵まれたわけではなく、努力を重ねてきたスケーターとしての印象が強いようだ。

【ジュニア時代の功績】世界も注目!国内外で活躍する村上佳菜子

競技の世界に本格参戦したのは、村上佳菜子がまだ13歳だった08-09シーズン。イギリスで開催されたジョン・カリー記念で優勝して、フィギュアスケートファンの注目を集める。国内では全日本ジュニア選手権で3位となり、シニアの全日本選手権に出場を果たし、上々のキャリアスタートを切った。
大人顔負けの演技にスポットが当たる中、翌年にはシニアの国際大会である「アイスチャレンジ」とジュニア世界選手権で優勝。最高の形でジュニア世代を締めくくった。

【憧れの存在】村上佳菜子にとっての浅田真央

村上佳菜子と浅田真央はともに名古屋で生まれ育ち、高校は中京大中京、大学は中京大学…と同じ道を歩んできた。日々同じスケートリンクで技を磨きながら、世界のトップを舞台に戦い続ける浅田の背中を追ってきたからこそ、今の村上佳菜子があるのかもしれない。
高校のブレザーを譲り受けてずっと着用していたのは、彼女の憧れを示す有名なエピソードとして知られている。2014年のソチ五輪には揃って出場することができた。

【シニア時代の功績】先輩を凌ぐとも言われるスケーターとしての要素

シニア転向後は、2010年のグランプリファイナルと2013年の四大陸選手権で銅メダルを獲得、2014年の四大陸選手権では金メダルを獲得した。前述の通り、2014年のソチでオリンピック初出場を果たす。
スケーティング技術は浅田真央に一日の長があるが、村上の氷上でのスピード感あふれるスケーティングと「表現力」は世界的に見てもかなり評価が高いものになっている。躍動感にあふれていて観衆の目を惹きつけられることが、彼女のストロングポイントだ。

【今後の展望】これからの村上佳菜子はどうなる?

ソチ五輪以降、表彰台から遠ざかることも多くなった。極度の「あがり症」としても知られ、一つのミスから演技中に立て直せないことが伸び悩みの一因とも言われている。ただ、スケーターとしては完成形にたどり着いておらず、メンタル面の改善がさらなる進化を生むという意味で、彼女への期待はまだまだ大きい。また、かつて「将来はコーチになりたい」と語ったこともある。
フィギュアスケートはスポーツでありながら「魅せる」競技。もうしばらく氷上のアスリートとして活躍した後には指導者に転身して、彼女の「表現力」を受け継いだスケーターがリンクの上で躍動するかもしれない。

まとめ

フィギュアスケート王国・名古屋で生まれ育った村上佳菜子。昨今のフィギュアスケートブームを引っ張る存在になり、まだ若いながらもこれまでに多くの功績を残している。これから先どのような成功を収めていくのかに注目が集まる。