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前人未踏!13回のタイトル防衛 ボクシング・具志堅用高の功績

2016 10/24 19:31
ロープ@Shutterstock.com
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Photo by sportoakimirka/Shutterstock.com

現在はタレントとしてクイズ番組でユニークな解答をとばす具志堅用高は、かつて”カンムリワシ”の異名をとるボクシングの”世界チャンピオン”だった。 ここでは、アフロヘアとひげが印象的な具志堅用高の偉大な功績を紹介する。

具志堅用高の生い立ち

沖縄県石垣市(石垣島)生まれ、子供の頃は野球が好きだったそうだ。中学の夏休みはパイナップル園でアルバイト。背中にパイナップルの入ったかごを背負い、斜面をかけおりる苛酷さだったが、何と素手(拳)でこっそりパイナップルを打ち砕いて食べていた。
身長が低かったため希望の野球部には入れなかったが、高校でボクシングに出逢う。生来のサウスポーとよく食べても太らず減量の必要がないなど、資質に恵まれていた。3年生の時、インターハイ・モスキート級で優勝している。

プロボクサーになったいきさつ

高校卒業後、拓殖大学にスポーツ推薦枠で入学が決まり、オリンピックを目指すため上京したところ、空港で協栄ジムのマネージャーに勧誘され、半ば強引に連れられてそのままジムに入門してしまったという、まるでマンガのようなストーリーに本人も家族も驚きだ。
当初は沖縄県と東京の暮らしぶりの違いに戸惑ったが、アルバイトをしながら真面目に練習に打ち込んだ。当時は最軽量級がフライ級だったため小柄な彼は苦戦したが、それでも1974年のプロデビュー戦は判定勝ちを収めた。
その後、ジュニアフライ級(現在のライトフライ級)ができて転向すると、メキメキと頭角を現す。国内上位の選手に連勝すると、1976年にアメリカのセサール・ゴメス・キーにKO勝ち。そこから世界王者への挑戦が始まる。

世界チャンピオンへの軌跡・世界王座6連続KO防衛!

プロデビューから2年後、世界チャンピオンへの挑戦権を獲得すると、1976年、いよいよWBA世界ライトフライ級チャンピオン、ドミニカ共和国のホセ・グスマンに挑戦。21勝(15KO)1敗の強打の王者に対し、完璧な防御と軽いフットワークで連打を浴びせKO勝ち。プロ9戦目で世界王者になった。
翌1977年、世界2位、元WBA王者のハイメ・リオスとの初防衛戦はパンチを受けて両目を腫らすも、ボディへの攻撃をゆるめず終盤を支配して判定勝ちで初防衛。リオスは翌年にも再挑戦したが、この時は両目を腫らしながらもKO勝ちだった。
1979年には、パナマのアルフォンソ・ロペスに7回KO勝ち、8度目の防衛に成功。6連続KO防衛の日本人記録は未だに破られていない。世界王座防衛は13回まで続いたが、これは日本人男子の世界王者の最多記録だ。
後に取材で、殴り合いの競技を辞めたいと思わなかったのかという質問に対し、世界チャンピオンになってボクシングが好きになり、勝ち続けたくなった、と語っている。
ちなみに、世界王者になっても5度目の防衛戦まではアルバイトを続けたそうだ。

最後の試合 引退を決めた理由

快調に防衛を重ね、1981年に地元沖縄県での凱旋試合。前の防衛戦で対戦したフローレスとの再戦で、14度目の防衛はならなかった。回が進むごとに動きが悪くなり、相手の攻撃をかわせず8回、12回にダウン、かろうじて立ち上がったものの、降り注ぐ挑戦者のパンチを浴び、遂にセコンドからタオルが。序盤のパンチで目が見えにくくなり、記憶すらなく、ダウンしたことも翌日知ったそうだ。
バラエティ番組で、「いつもは計量の後アイスクリームを食べるのにこの時は食べられず、調子がでなかった」と話していたが、実際は右目が網膜剥離寸前で、1ヶ月間眼球に直接注射を打つ治療を続けた。
復帰戦という声もあったが、自分に近づいてくる注射針から逃げられない恐怖感は大きく、引退を決意。18歳でプロデビュー後、いまだに誰も超えていない日本記録を達成し、24戦23勝1敗……ただ1度の負けで引退を決めた25歳を、ジムの会長が引き留めるのもわかる。しかし、ボクサーにとって目は命、潔い決断だった。

引退後の活躍

現在はタレントとして人気の具志堅さんだが、ボクシングとはずっと関わっている。 引退後の1994年には、日本人初の世界王者の白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開業して現在は会長を務めている。
また、2010年には元世界チャンピオンがメンバーの、日本プロ野球名球界ならぬ「プロボクシング・世界チャンピオン会」を設立し、副会長に就任。 最近では2015年に国際ボクシング名誉の殿堂・オールドタイマー部門に選ばれた。

まとめ

テレビでのユニークな発言やインパクトのある見た目が有名で、選手としての素晴らしい功績を詳しく知らない人も多かったのではないかと思う。ちなみに、トレードマークのアフロヘアとひげは、強そうに見せるためのスタイルだそうだ。
現在はプロ野球の始球式で投げたり、バッターになったりと、子供の頃の夢の続きを演じている。 これからも明るいキャラクターで私たちに元気を与え続けてくれるだろう。