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ボートレースを盛り上げてきた名レーサーたち

2016 11/29 12:30
ボートレース
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Photo by Khun Ta/Shutterstock.com

平成22年に、今までの「競艇(kyotei)」から「BOAT RACE」に呼称を一新し、次の時代でも盛り上がるべく努力している艇界。たくさんの選手たちがここまで引っ張ってきたのでしょう。その中でも競技を面白く、そして時代の流れに乗せてきたであろう選手を探してみました。

BOAT RACEを高みに導いた「今村豊」

1981年にデビューした今村豊選手は、デビュー戦で1着をとると、その11ヶ月後には初優勝、さらに3ヶ月後にG1で初勝利という衝撃的な出世をしました。当時は、選手が一人前になるには10年かかると言われていた時代、今村選手は3年目にしてSGで優勝するなど次元を超えた成績だったのです。今村選手が全速ターンという技を競艇界に持ち込んだことで、ベテラン有利だったレースが変わり、何よりもレース展開が面白くなっていったのです。
そんな今村選手ですが、本栖時代は「転覆王(ドボン・キング)」と呼ばれていたそうです。

不死鳥と呼ばれる男「植木通彦」

1986年にデビューの植木通彦選手は「不死鳥」と呼ばれている。3年目の桐生ボートレース場での転覆時に、後続艇のプロペラで顔面を負傷、全治5ヶ月、75針を縫う重傷を負いました。半年後の復帰戦では、多くの選手が負傷したレース場での復帰を避ける中、植木選手はあえて桐生ボートレース場を選んだのです。このことから「不死鳥」と呼ばれるようになったのです。
その後も活躍し、1993年の総理大臣杯優勝戦において、全速ターンの今村選手、モンキーターンを編み出した飯田選手と共に出場し、史上初、SGでモンキーターンを使用しての優勝を果たしたのです。

新しい戦法で時代を変えた「服部幸男」

父、服部正彦と同じ競艇選手になった、服部幸男選手のデビューは1989年です。服部選手が新人の頃は、まだまだベテラン有利、年功序列が厳しく残る競艇界でした。当時主流だった戦法は「差し」でしたが、服部選手はその戦法を超える「まくり差し」という戦法を考案、実践しました。「まくり差し」は圧倒的な強さをみせ、レースをスピードターンの時代へと変えたのです。服部選手はデビュー当時はアイドル的存在で、女性人気のナンバーワンでした。

ファン層を広げた「濱野谷憲吾」

艇会のファンタジスタ、濱野谷憲吾選手は、1992年デビュー、漫画「モンキーターン」のモデルになった選手です。テーマは決まったものの、ストーリーに悩んだ漫画家の河合克敏氏が足を運んだ競艇場で、デビュー数年の濱野谷選手を観て感動してイメージモデルとしたようです。長くレースを観てきたファンには、豪快なターンや、デビュー2走目で1着を取り19歳で一般戦で初優勝を飾るといった華々しいデビューがあったと思います。
そんな中、新しいファン層を拡大させたであろう要因は、その端正なルックスや長髪だったのではないでしょうか。今でこそ「イケメンレーサー」というカテゴリーは有名ですが、女性がボートレースを観に行きやすくしたのは濱野谷選手だったのかもしれません。

グレートマザー「日高逸子」

「グレートマザー」と呼ばれている女性レーサーをご存知ですか?日高逸子選手は1985年にデビューした現在A1級のレーサーです。一般的な職業の家庭でも、結婚後の苗字はどうするのか、妻は仕事を続けるのか、子供ができたらどのように育てるのか。多くの共通の問題があると思います。その中に、日高選手が「グレートマザー」と呼ばれている理由があるのかもしれません。
日高選手は2人の子供の母でもあり、長女と次女の出産後は3ヶ月でレースに復帰をしています。凄いのは、体力的に劣るであろう女性ながら、現在54歳にも関わらずA1級という第一線で活躍するレーサーであり続けていることでしょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか?今回挙げた選手以外にも、たくさんの歴史を持った選手が大勢います。レースを観に行って、お気に入りの選手を見つけ、新しいドラマに出会ってみるのも楽しいかもしれませんね!