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NBAの伝説的人物!ウィルト・チェンバレン選手の功績まとめ

2017 1/10 23:42
NBA
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ウィルト・チェンバレン選手は、現役時代に4度のシーズンMVPに輝くなど様々な功績を残している。その記録の中には、今なお破られていないものも多く、史上最高のバスケットボールプレイヤーとして伝説的な存在になっている。そんなウィルト・チェンバレン選手の生い立ちや功績を紹介する。

ウィルト・チェンバレン選手の生い立ち

チェンバレン選手は、1936年にアメリカ・フィラデルフィアに生まれた。幼少期、病弱な少年だった彼は、陸上競技に興味を持ち、優秀な成績を残している。また、周囲の影響でバスケットボールを始めると、10歳の時にはすでに身長183cmという恵まれた体格を活かして活躍した。
肺炎で生死を彷徨ったことや、吃音症などが影響して幼少期は内向的な性格であったと言われている。しかし、その後、バスケットボールプレイヤーとして頭角を現し始めると同時に、後に言われる自信家の一面が形成されていった。

ウィルト・チェンバレン選手の学生時代の活躍

高校時代から、エースとしてチームを引っ張っていたチェンバレン選手。1試合で70得点以上獲得するなど、高校生の中では敵がいない状態だった。当時からすでに、スカウトの注目を集めており、高校を卒業する時には、数多くの大学が彼を勧誘しようとした。
チェンバレン選手が選んだ進路は、カンザス大学だったが、そこでも彼を止めることのできる選手はおらず、1年生の時から上級生を圧倒す。ここでも好成績を残したが、大学3年目が終わる頃には熱意を失い、大学を中退。そのままNBA入りを目指した。

NBA選手としての功績

チェンバレン選手がNBA選手になったのは、1959年だ。地元にあるフィラデルフィア・ウォリアーズから指名を受け、入団後のデビュー戦で43得点28リバウンドという成績を残し強烈な印象を与えた。結局、そのシーズンは史上初となるシーズン平均得点30オーバーを記録し、得点王に輝いた。
現役時代は、ウォーリアーズ、76ers、レイカーズを渡り歩き、NBAチャンピオンを2回獲得、シーズンMVP4回、NBAファイナルMVP1回、更には得点王や、リバウンド王の栄冠も度々手にした。

コーチとしてのウィルト・チェンバレン選手

1973年に現役を退いたチェンバレン選手は、その後1シーズンだけABAのサンディエゴ・コンキスタドアーズのコーチを務めている。しかし、直観的な閃きを重視する彼のプレースタイルは、選手育成には向いていなかったようだ。また、スター選手時代と違い、空席の多い会場にも魅力を見出すことができず、結局、コーチとしての生活は1年で幕が下がった。
その後は、現役復帰を望む声があり、NBAチームからオファーもあったが、チェンバレン選手が断ったことで実現には至らなかった。

ウィルト・チェンバレン選手の引退後の動向は?

選手として、またコーチとして長年バスケットボールに関わって来たチェンバレン選手だが、引退してからはナイトクラブ経営や馬主などのビジネスを始め、成功を収めている。
また、バスケットボール以外のスポーツにも興味を示し、ボクシングや、バレーボールなど土俵の違う舞台でも活躍している。特に、バレーボールでは、IVA(インターナショナル・バレーボール・アソシエーション)の会長に就任するほどだった。 数々の功績を残したチェンバレン選手だが、1999年に心臓発作のため、63歳でこの世を去っている。

まとめ

NBAの伝説的スター、ウィルト・チェンバレン選手を紹介した。NBA史上に多大な記録を残した人物の一人として、再度彼の功績に注目してみるのも面白いだろう。