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“リアル流川”バスケットボール・櫻井良太の功績

2017 1/10 23:42
バスケット選手,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

バスケットボールファンならずとも、30代以上の方を夢中にさせた漫画スラムダンク。その登場人物の中に「流川楓」というオールラウンダーがいるが、高校時代に“リアル流川”と呼ばれた選手がいた。その名は櫻井良太選手。櫻井選手の功績を追った。

桜井良太選手の生い立ち

1983年3月13日に三重県で生まれた桜井良太選手は、お姉さんの影響でバスケットボールを始める。桜井選手のお姉さんは地元では有名になるほどのバスケットボール選手。桜井選手はサッカーが好きだったが、サッカーは当時人気が高く、レギュラーを取るのが難しいと判断した桜井選手は、お姉さんのすすめでバスケットボールを始めた。
当時はアニメのスラムダンクがまだ始まっておらず、バスケットボールは人気が低調で、すぐに試合にでられたと語っている。

リアル流川と呼ばれるきっかけは伝説の能代工業戦

桜井選手を一躍有名にしたのは、2000年のウインターカップだ。桜井選手は地元の高校である四日市工業高校に進学していたが、桜井選手が3年次、2000年のウインターカップの2回戦能代工業高校戦は衝撃だった。当時の能代工業と言えば、毎回全国大会決勝常連の超強豪校、さらにこの時のチームもインターハイを制していた。
その能代工業相手に、ダンクシュート3本を含む51得点。3ポイント6本、フリースロー21連続成功をさせて、能代工業を撃破。当時流行っていたスラムダンクの影響でリアル流川と騒がれた。

地方の大学から日本代表へ

四日市工業高校卒業後、多くの有望選手が中央の大学に進む一方で、桜井選手は地元東海地方の愛知学泉大学に進む。1年次に新人王を受賞すると、その後も西日本の大会で活躍。桜井選手在学中は愛知学泉大学は東海学生リーグ4連覇、桜井選手は4年時に、MVPも獲得している。そうした活躍が認められ、大学3年次からは日本代表にも呼ばれている。
2004年の第1回スタンコビッチカップに出場すると、2005年には日本代表のスタメンに定着。FIBAアジア男子選手権ではオールアジア2ndチームに選ばれる活躍を見せる。

レバンガ北海道での活躍

愛知学泉大学卒業後は、これまた地元東海地方のトヨタ自動車アルバルクに入団。スーパーリーグの2005-2006年シーズン、トヨタ自動車アルバルクは優勝するが、桜井選手は途中出場が多かったものの、1年目から優勝に貢献している。
その後、2007年からレバンガ北海道の前身レラカムイ北海道に入団。194cmの大型のポイントガードとして、チームを引っ張っている。2013年にはNBLのオールスターチームに選出された。

子供たちの指導も

桜井選手が北海道のバスケットボールチームに移籍して10年目となった2016年。桜井選手は、第2の地元となった北海道とバスケットボールに貢献すべく、桜井良太 SKILL WORK OUT SCHOOLを開校し、子供たちの指導に当たっている。現役選手がスクールを開校するのは珍しいが、トッププレイヤーの桜井選手の動きを実際に見ながら指導を受けられるので好評となっていて、メディアでも取り上げられている。

まとめ

リアル流川と呼ばれた桜井選手の功績を追った。桜井選手は現在もトッププレイヤーでありながら、第2の故郷となった北海道で、子供たちにバスケットボールを教えている。まだまだ、選手としても輝き続けてほしい。