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バスケットボール男子日本代表浮上のキーマン・比江島慎選手の功績

2017 1/10 23:42
バスケット選手,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

長らく低迷するバスケットボール男子日本代表。そのバスケットボール男子日本代表の浮上のキーマンは比江島慎(ひえじま まこと)選手だ。スピード溢れるカットインや3ポイントシュートでファンを魅了する。ファンの多い比江島慎選手の功績をまとめてみた。

洛南高校時代にウインターカップ3連覇

1990年8月11日に福岡で生まれた比江島選手は、福岡県立百道中学校に進み、バスケットボール部でエースとして活躍。チームが全国中学校バスケットボール大会に出場するのに貢献した。その比江島選手は中学卒業後、バスケットボールのファンなら知らない人がいない京都の名門洛南高校に進学。1年時から試合に出続け、存在感を示していた。
比江島タイムと呼ばれる時間があったほど、ゲームを1人で支配してしまうような得点能力を発揮した比江島選手は、洛南高校のウインターカップ3連覇に貢献している。

ポイントガードに転身した大学時代

洛南高校卒業後は、青山学院大学に進学した比江島選手。大学入学後も青山学院大学の得点源として活躍し、その働きが認められて日本代表の合宿に呼ばれる。その合宿は、比江島選手にとって大きな転機となった。日本代表の鈴木貴美一監督は、日本代表が浮上するためには、大型のポイントガードが必要と考えていた。
比江島選手のバスケットボールセンスを見た鈴木貴美一監督は、比江島選手にポイントガードへのコンバートを打診している。これによって190cmの大型のポイントガードが誕生。青山学院大学も比江島選手の2年次、3年次と全日本大学バスケットボール選手権大会2連覇、また、比江島選手の2?4年次は、関東大学リーグも3連覇している。

シーホース入団後

青山学院大学を卒業後の2013年には、比江島選手はアイシンシーホース三河に入団する。入団後すぐにスターティングメンバーに抜擢され、53試合に出場、1試合平均11.8得点、2.9アシスト、3.1リバウンドを記録し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
その後2014-15シーズンは、シーホースのNBLレギュラーシーズン西地区1位、またNBLファイナル優勝の立役者に、2016年にはチームの天皇杯優勝に貢献している。シーホースでは、ポイントガードとシューティングガード両ポジションを務めている。

日本代表のキーマンに

比江島選手が日本代表に初めて選ばれたのは、2012年のウィリアム・ジョーンズカップ。その後、FIBAアジアカップにも出場している。FIBAアジアカップではチームの準優勝に貢献した。
2013年に入ると日本代表でも試合に起用される機会が増え、東アジア選手権3位に貢献。さらにアジア選手権にも出場している。2014年、バスケットボール男子日本代表は、アジア大会で銅メダルに輝き、20年ぶりのメダルを獲得。比江島選手は準々決勝の中国戦で23得点、フィールドゴール成功率100パーセントを記録し、チームに大きく貢献した。

NBAにチャレンジ

比江島選手は、2015年の7月にはバスケットボールの本場アメリカのNBA入りを目指し、海を渡っている。NBAの新人発掘の場として開催されるNBAサマーリーグに参加するため、ラスベガスに行った。NBAサマーリーグは過去に日本人初のNBAプレイヤー田臥勇太選手も参加した場で、2014年にはダラス・マーベリックスの一員として富樫勇樹選手も参加している。
残念ながら比江島選手は日本人2人目のNBAプレイヤーにはなれなかったが、これからも注目の選手だ。

まとめ

バスケットボール男子日本代表浮上のキーマン・比江島慎選手の功績に注目した。比江島選手は、日本代表の大型ポイントガードだ。そのセンスで日本代表を引っ張り、2020年東京オリンピックで、男子バスケットボールの躍進してほしい。