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プロバスケットボールリーグ・NBAプレーヤー、田臥勇太選手の功績

2017 1/10 23:42
田臥,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

"田臥勇太"(たぶせゆうた)選手は日本のバスケットボール界史上で日本人初、NBAでプレーを果たすという功績を残したプロバスケットボール選手だ。バスケ選手としては小柄である田臥選手が世界最高峰の舞台NBAへ挑んだ、それまでの彼の生い立ち、軌跡を紹介する。

"田臥勇太"とはどんな人物?

田臥勇太(たぶせ ゆうた)は、母親の影響で小学校2年生よりバスケットボールを始め、地元横浜市でコツコツと実力をつけていった。小学校3年生のときには掛け持ちでソフトボールも始め、その能力はシニアリーグからの誘いもあるほどだった。この運動神経の良さは、まさにアスリートになるために生まれてきたといっても過言ではない。その後高校時代にはバスケットボールの名門校に入学し、すぐにスタメンとして活躍する。

田臥勇太選手がプロ入りまでに残した成績

田臥選手の出身高校は、秋田県立能代工業高等学校。この高校はバスケットボールの名門校だった。入学後頭角を表してスタメンとして活躍し、高校総体・国体・全国高校選抜の3大タイトルを3年連続で制するという、史上初の「9冠」も達成する。高校時代には全米ジュニア選抜と世界ジュニア選抜に日本人として初選出された経歴ももっている。
高校卒業後は大学へ進学。国内進学ではなく、ブリガムヤング大学ハワイ校への留学の道を選んだ。初めて選手登録された際には「日本のジョーダン」と紹介され、試合の功績からMVPに選ばれたこともある。

運命的な出来事で目の当たりにした本場の世界

実は田臥選手は中学生時代にある運命的な出来事を経験している。彼の元にCM出演の話が舞い込んできたのだ。共演の相手は、当時NBAのスターであったパトリック・ユーイングさんだった。撮影が行われたのはアメリカのニューヨーク。その合間にバスケットボールの聖地『マディソンスクエア・ガーデン』へも足を運び、本場NBA選手のプレーを目の当たりにする。
中学生だった田臥選手の目に焼き付いた本場NBAの世界。その場面のひとつひとつが、その後のNBA挑戦への夢へと彼をいざなっていったのだろうか。

プロデビューで魅せた"田臥勇太"の実力

大学は3年半で中退した田臥選手だが、中退した年の2002年5月に日本の社会人リーグのトップリーグであるスーパーリーグのトヨタ自動車アルバルクに入団する。
初年度から新人王を獲得し、オールスターではファン投票1位で選出されるなど、着実に日本バスケットボール界におけるスターの道を歩みだしたように見えた田臥選手。しかし、翌年2003年にチームを退団。同年9月にはNBA(全米プロバスケットボール協会 )のデンバー・ナゲッツと契約し、本場アメリカのリーグに挑戦するのだった。

日本人初!NBAプレーヤー"田臥勇太"の誕生

デンバー・ナゲッツでは契約から3試合に出場するも、開幕メンバーに選ばれることなく解雇となってしまう。しかし、翌2004年にNBAのフェニックス・サンズと契約を行い、遂に念願の開幕メンバーへの登録を果たしたのだった。この瞬間、日本人として初となるNBAプレイヤーの誕生となったのだ。
田臥選手はバスケットボール選手としては決して恵まれた体格をもった選手ではない。弱点とも思える小柄な身体を生かしたスピード性、もって生まれたパスセンスや広くコートを見渡せる視野など、細かな技術を磨いた結果が本場の世界への門戸を開くことができたのだろう。彼の行ったNBAへの挑戦は今もなお多くのバスケットボールプレーヤーに示唆を与え、勇気を与えている。

まとめ

日本人の小柄な選手でもNBAへ挑戦し、扉を開くことができた。それを証明したことが、彼の最大の功績といっても良いだろう。現在は日本のバスケットボール界に戻り、Bリーグ栃木ブレックスで活躍する田臥選手。日本人初のNBAプレイヤー・"田臥勇太"が気になった方は、ぜひ試合に足を運んでみてはいかがだろうか。