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熱き魂受け継ぐ投手ナンバー プロ野球における背番号54の選手たち

2023 5/13 06:00SPAIA編集部
ロッテの沢村拓一とオリックスの黒木優太,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「54」

2023年各球団の背番号「54」は下記の選手が背負っている。

オリックス:黒木優太投手
ソフトバンク:ロベルト・オスナ投手
西武:ヘスス・ティノコ投手
楽天:和田恋外野手
ロッテ:沢村拓一投手
日本ハム:安西叶翔投手

ヤクルト:サイスニード投手
DeNA:不在
阪神:加治屋蓮投手
巨人:直江大輔投手
広島:韮澤雄也内野手
中日:藤嶋健人投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:1球団

巨人・槙原寛己やロッテ・黒木知宏など歴代の選手を見ても投手のイメージが強い背番号「54」。2023年シーズンも9球団で投手が背負っている。

オリックスの黒木優太は同じ名字ということもあり、黒木知宏が現役時代に背負った「54」を着用。「気持ちを全面に出す」投球スタイルも参考にしている。

ロッテでは、昨季限りで退団したブランドン・レアードから今季3年ぶりに古巣に復帰した澤村拓一が「54」を継承。現役時代「魂のエース」と呼ばれた黒木投手コーチのもとでセットアッパーを務めている。

そして、外国人選手が背負うことも多く、ロベルト・オスナ(ソフトバンク)、ヘスス・ティノコ(西武)、サイスニード(ヤクルト)と、3選手が着用中だ。阪神はジェフ・ウィリアムス、ランディ・メッセンジャーと助っ人投手が背負ってきたが、2021年から加治屋蓮が着用している。

次章以降では、背番号「54」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介していく。

「50番台トリオ」の一角・槙原寛己

1980年代に巨人で「50番台トリオ」と呼ばれる選手達がいた。「50」の駒田徳広、「55」の吉村禎章、そして「54」の槙原寛己だ。

槇原は1981年ドラフト1位で大府高から巨人に入団。この年のドラフトでは愛工大名電高の工藤公康、愛知高の浜田一夫とともに「愛知三羽ガラス」と呼ばれ、注目度は高かった。

入団1年目に一軍登板はなく、デビューは2年目となる1983年だった。この年に12勝をマークして新人王を受賞。以降も先発ローテーションに入る活躍を見せた。

槇原で有名なのは、1985年に甲子園球場で行われた阪神戦でのバックスクリーン3連発。ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に3者連続で放り込まれた映像は、1985年の阪神を紹介する際に必ずと言っていいほど流される。

1986年に規定投球回には到達しなかったものの、防御率2.29と好成績を残して翌年から背番号17に変更。1990年代には桑田真澄、斎藤雅樹らとともに三本柱として活躍した。1994年には完全試合を達成。2022年に佐々木朗希が完全試合を達成したことで槙原の偉業が再び脚光を浴びた。

通算159勝128敗56セーブ。剛速球で記憶にも記録にも残る右腕だった。

阪神は外国人投手が継承

阪神では二人の外国人投手が「54」で活躍した。ジェフ・ウィリアムスとランディ・メッセンジャーだ。

2003年に阪神入りしたウィリアムスは、2009年まで7年間在籍し、中継ぎとして活躍した。藤川球児、久保田智之とともに「JFK」として鉄壁のリリーフ陣を形成。タイトル獲得こそなかったもののNPB通算371試合に登板し、141ホールドをマークした。2003年、2005年の優勝時にも中継ぎでフル回転し、歴代助っ人の中でも印象深い選手の一人だろう。

ウィリアムスが退団した翌年の2010年から背番号54を背負ったのがメッセンジャー。2019年に退団するまでの10シーズンで7度の2桁勝利をマークした。

最多勝(2014年)、最多奪三振(2013年、2014年)のタイトルを獲得するなど、エース格としてチームを支えた。阪神では、ジーン・バッキーの100勝に次ぐ歴代助っ人2位のNPB通算98勝を挙げた。

「魂のエース」黒木知宏

ロッテでエースを務めた黒木知宏は、1994年ドラフト2位で新王子製紙春日井から入団した。3年目の1997年に12勝をマークすると、翌1998年に13勝をマークして最多勝を獲得。以降2001年まで2桁勝利を継続した。

しかし、肩の故障もあって2002年、2003年は登板なし。2004年に復帰して2007年まで現役を続けたものの、全盛期には程遠く結果を残すことはできなかった。

黒木が最も取り上げられるシーンは、1998年7月7日のオリックス戦だろう。それまで16連敗中のチームは9回2死まで2点リード。しかし、マウンドの黒木はハービー・プリアムに同点2ラン本塁打を浴びてしまう。その瞬間、黒木はマウンドへ座り込んだ。

結局、延長戦でロッテは敗れ連敗は17に伸びた。この試合は「七夕の悲劇」として語り継がれている。

気迫溢れる投球が持ち味だったこともあり、ついたニックネームは「魂のエース」。黒木に憧れ、2016年ドラフト2位でオリックスに入団した同姓の黒木優太は背番号54を熱望。現在もこの番号を背負っている。

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