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三浦大輔、森本稀哲、秋山拓巳ら巣立った出世ナンバー プロ野球における背番号46の選手たち

2023 6/18 06:00SPAIA編集部
楽天の藤平尚真、中日の鈴木博志、広島の河野佳
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ⒸSPAIA

2023年現役選手の背番号「46」

背番号46は入団当時に与えられ、実績を残して若い番号へ変更することが多い番号でもある。三浦大輔(現DeNA監督)や森本稀哲(元日本ハム)、秋山拓巳(阪神)らがその代表例。過去を遡ると、2023年のWBCで侍ジャパンを率い世界一に輝いた栗山英樹監督も現役時代に「46」から「4」に変更している。

2023年各球団の背番号「46」は下記の選手が背負っている。

オリックス:本田仁海投手
ソフトバンク:川原田純平内野手
西武:鈴木将平外野手
楽天:藤平尚真投手
ロッテ:岩下大輝投手
日本ハム:畔柳亨丞投手

ヤクルト:太田賢吾外野手
DeNA:田中健二朗投手
阪神:島本浩也投手
巨人:鍬原拓也投手
広島:河野佳投手
中日:鈴木博志投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:2球団

2023年は投手が最多の9球団となった。今季変更となったのは広島の1球団のみ。ドラフト5位で大阪ガスから入団した河野佳が背負っている。

その他の顔ぶれを見てもブレイク前の若手が多く、楽天の藤平尚真は2017年にドラフト1位で入団してから「19」を背負ってきたが、2022年に変更。3年連続未勝利に終わり、「46」で心機一転出直しを図っている。

同じく2017年ドラフト1位右腕の中日・鈴木博志は、6月6日の西武戦で自己最長となる5.2イニングを投げ、5安打無失点と力投。プロ6年目、通算4度目の先発登板で待望の先発初勝利を手にした。

MLBに目を向けるとクレイグ・キンブレル(ドジャース)がこの番号を長年背負っていた。2010年にアトランタ・ブレーブスでメジャーデビューし、パドレス、レッドソックス、カブス、ホワイトソックス、ドジャースとわたり歩いているが、2019年を除き、一貫して背番号46をつけていた。2023年からは移籍先のフィリーズで「31」を背負っている。

そんな背番号「46」を着用していた歴代の名選手や特徴的な球団の系譜を、次章以降で紹介していく。

「ハマの番長」三浦大輔

2016年シーズンに現役を引退し、現在はDeNAの監督を務める三浦大輔。現役時代は背番号18のイメージが強いが、入団当時は「46」だった。

1991年ドラフト6位で高田商業高から大洋に入団。高卒1年目から一軍登板を果たし、翌1993年にはプロ初勝利を含む3勝を挙げた。1995年には8勝(8敗)をマーク。翌1996年こそ5勝10敗と負け越したが、34試合に登板するなど一軍の戦力として定着した。

1997年には初の2桁勝利となる10勝(3敗)を挙げ、同年オフに背番号18に変更。その後は横浜のエースとして活躍し、通算172勝184敗の成績を残した。「ハマの番長」と呼ばれ、ファンから愛されるスター選手だった。

現在は常葉菊川高から2007年高校生ドラフト1巡目で入団した田中健二朗が「46」を背負っている。トミー・ジョン手術で一時は育成契約となったが、過酷なリハビリを乗り越え、2022年4月19日の阪神戦で約4年ぶりの白星を挙げている。

また「18」は、2022年からドラフト1位ルーキー・小園健太が背負う。両投手とも偉大な先輩に続く活躍が期待されている。

2009年の首位打者・鉄平

楽天創設2年目となる2006年に中日から移籍してきた鉄平は、登録名を土谷鉄平から「鉄平」に変更し、背番号は中日時代と同じ「46」となった。

移籍1年目からレギュラーに定着して103試合に出場し、打率.303(396打数120安打)をマーク。7三塁打はリーグトップだった。2009年には打率.327(496打数162安打)で首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインも受賞。球団史上初となるクライマックスシリーズ出場に大きく貢献した。

翌2010年も打率.318(481打数153安打)と2年連続打率3割をマーク。リーグを代表する打者となった。

しかし、徐々に成績を落とし。チームが日本一に輝いた2013年は移籍後最少となる54試合の出場に終わった。そのオフに後藤光尊とのトレードでオリックスに移籍。オリックス時代は背番号「46」ではなく「0」を着用した。

オリックスでは2年間プレーしたが一軍に定着できず、2015年シーズンを最後に現役を引退。通算1002試合出場で打率.278、878安打、42本塁打の成績を残した。

「コア4」の一角アンディ・ペティット

ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍したアンディ・ペティットは、1995年にメジャーデビューを果たすと12勝をマーク。翌1996年には21勝を挙げて最多勝を獲得し、2003年まで9年連続で二桁勝利をマークした。

2004年から2006年までの3年間はアストロズでプレーしたが、2007年にヤンキースへ復帰。タイトルの獲得はなかったものの2013年までプレーし、通算256勝153敗の成績を残した。ヤンキース時代は一貫して背番号「46」を背負い、2015年に永久欠番となった。

ペティットはマリアノ・リベラ、ホルヘ・ポサダ、デレク・ジーターとともに「コア4」と呼ばれ、ヤンキースの象徴にもなっていた。リベラの「42」、ポサダの「20」、ジーターの「2」と4人全員がヤンキースの永久欠番となったことからも存在の大きさがよくわかる。

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