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世界一メンバー山川穂高と近藤健介も背負う栄光のナンバー プロ野球における背番号3の選手たち

2023 4/20 06:00SPAIA編集部
西武の山川穂高とソフトバンクの近藤健介,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「3」

背番号「3」は多くのスタープレーヤーが背負ってきた番号だ。「安打製造機」こと榎本喜八、西武時代の清原和博、487二塁打の日本記録を持つ立浪和義、平成唯一の三冠王・松中信彦と各球団の顔とも言える選手が背負ってきた。

2023年シーズンは、どのような選手がこの番号を着用しているのだろうか。12球団の「3」は以下の通り。

オリックス:安達了一内野手
ソフトバンク:近藤健介外野手
西武:山川穂高内野手
楽天:浅村栄斗内野手
ロッテ:角中勝也外野手
日本ハム:加藤豪将内野手

ヤクルト:西浦直亨内野手
阪神:大山悠輔内野手
巨人:永久欠番(長嶋茂雄)
広島:永久欠番(衣笠祥雄)
中日:高橋周平内野手
DeNA:オースティン外野手

不在:0球団
永久欠番:2球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:7球団
外野手:3球団

巨人と広島の2球団で永久欠番となっている。「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄の影響は今でも大きい。2016年ドラフト1位で阪神に入団した大山悠輔選手は背番号「3」を与えられ、「虎のミスターになれ」と発破をかけられたほど。ライバル球団でさえも意識するほどの番号なのだ。

2023年からは3月のWBCで侍ジャパンの主軸として3大会ぶりの優勝に貢献したソフトバンク・近藤健介、日本ハム・加藤豪将、DeNAのオースティンが新たに「3」を着用している。そのほかの球団の顔ぶれを見ても、近藤とともに世界一に輝いた西武の山川穂高に加え、阪神・大山悠輔、楽天・浅村栄斗ら実績のある選手達が並ぶ。

また、入団と同時にこの番号を与えられた大山、高橋周平、安達了一らには球団が大きな期待をかけていたことがわかる。

逆に言えば、その重みとも戦わなければならない。今季から巨人に移籍した松田宣浩はソフトバンク時代の2017年から「3」を着用したものの、2年で「5」に戻した。憧れていた松中信彦氏が付けていた番号を背負ったが、納得のいく成績を残すことができず、原点回帰の意味で背番号を戻したのだ。

このようにプレッシャーのかかる番号でもある背番号「3」。次章以降では「3」を背負った歴代の名プレーヤーを紹介する。

国民的プロ野球選手だった長嶋茂雄

日本のプロ野球において最も有名な背番号「3」といえば間違いなく長嶋茂雄だろう。立教大学から巨人に入団しチームの柱として活躍。現役引退まで、常に第一線で体を張ってプレーしてきた。豪快なフルスイング、空振りした際にヘルメットが宙を舞う姿など、ガッツ溢れるプレーでファンを魅了した。

現役引退後に永久欠番となり、監督時代は「90」「33」で指揮を執っていた。しかし、1999年オフに広島からFAで獲得した江藤智に「33」を譲ると、背番号「3」に変更。春季キャンプで報道陣に披露する際もジャンパーを脱ぐタイミングを窺いながら多くの話題を振りまいた。2001年に監督退任後は永久欠番ということもあり、着用している選手はいない。

アテネオリンピックの日本代表監督に就任した際、JAPANのユニフォームではあるが背番号「3」を着用。任期中に脳梗塞となり中畑清監督へバトンタッチとすると、中畑監督は「33」を着用し、ベンチに「3」のユニフォームが掲げられた。

「鉄人」こと衣笠祥雄

山本浩二とともに「赤ヘル軍団」を支え、当時の世界記録となる2215試合連続出場を達成した衣笠祥雄。ケガをしても試合に出続けたことから「鉄人」と呼ばれた。連続試合出場記録のインパクトがあまりにも大きいため、打撃面に焦点が当たることが少ないが、名球会入りの条件でもある2000本安打だけでなく、歴代7位の通算504本塁打を放っており、打点王(1984年)、盗塁王(1976年)のタイトルも獲得している。

衣笠の打撃面が取り上げられない理由のひとつに、主砲として同時期に活躍した「ミスター赤ヘル」こと山本浩二の存在が挙げられる。「法政三羽烏」として注目された山本は広島入団当初から活躍し、首位打者1回(1975年)、本塁打王4回(1978年、1980年、1981年、1983年)、打点王3回(1971年、1980年、1981年)と打撃タイトルを多数獲得。通算536本塁打は大卒出身では史上最多と輝かしい実績を残した。

球団は衣笠の偉大な記録を称え、背番号「3」を永久欠番に制定。広島では山本の「8」と黒田博樹投手の「15」も永久欠番となっている。

“野球の神様”ベーブ・ルース

“野球の神様”ベーブ・ルース。メジャーリーグの歴史を語る上で、欠かすことのできない人物の一人である。1914年にボストン・レッドソックスでデビューを果たすと投手、野手の二刀流で活躍。1920年から1934年まではニューヨーク・ヤンキースで、1935年はボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)でプレーした歴史的な名選手だ。通算本塁打714本はハンク・アーロン選手に塗り替えられるまで世界記録でもあった。

ベーブ・ルースがメジャーリーグ入りした当時は背番号がなかった。背番号を初めて導入したのは、現役も終盤に近づいた1929年に所属していたニューヨーク・ヤンキースだ。ヤンキースは観客が遠くからでも選手を判別できるようにと、背番号を導入。当時は打順がそのまま背番号として振られており、ベーブ・ルースは3番を打っていったことから背番号「3」となった。

ベーブ・ルースが1935年に現役を引退後、1948年に永久欠番として定められた。これはメジャーリーグ史上3番目であり、ヤンキースではルー・ゲーリッグに次ぐ2番目だった。また、デレク・ジーターの背番号「2」が永久欠番となったことで、ヤンキースは背番号「1」から「10」までが全て永久欠番となっている。

日米のスーパースターである長嶋、ベーブ・ルースが背負ってきた背番号「3」。今後、この番号を背負った新たなスーパースターが生まれることを期待したい。

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