記念すべき第1回!1965年のドラフト会議を振り返る | SPAIA

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記念すべき第1回!1965年のドラフト会議を振り返る


1965年に第1回ドラフト会議が開催

1965年は記念すべき第1回のドラフト会議が行われた年だ。それ以前は、完全に自由競争で各球団が選手を獲得しており、選手への契約金の高騰、戦力の偏りが問題視されていた。そのために、プロ野球にドラフト制度が導入されたのだ。
メジャーリーグ(MLB)も1965年に第1回のドラフト会議が行われており、野球のドラフトは日米同年度に開始となった。そのために日本のドラフトはMLBを参考にしたわけではなく、1936年から行われているアメリカンフットボール(NFL)を参考にした。
現在のようにパソコンはなく、テレビのモニターに指名選手が表示されることもなかった。また、指名選手の上限は30名までとなっており、実際に広島カープは18名、西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)は16名の指名を行っている。
1位指名に関してはその場で指名を行っていくのではなく、事前に提出していた30名の順位が割り振られた名簿から選ばれる方式だった。各球団の重複がなければ名簿内の1位がそのまま交渉権獲得となり、重複した場合に抽選を行う方式だ。
1位指名で抽選となったのは森安敏明選手(関西高)、田端謙二郎選手(電電九州)の2名のみだった。森安選手は東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)とサンケイスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)が抽選を行い東映、田端選手は近鉄バファローズと広島カープが抽選の末に近鉄がそれぞれ交渉権を獲得している。
2位指名以降は抽選をおこなわずウエーバー方式、逆ウエーバー方式を採用したため、第1回のドラフトで抽選はこの2名となった。
第1回ドラフト会議は波乱なく進んでいった。

1位指名は8名が高校生

各球団の1位指名選手は即戦力ではなく、将来性を買われての高校生が12球団中8名を占めた。森安選手の抽選を外したサンケイは、河本和昭選手(広陵高)を指名するが、入団を拒否される。初のドラフト会議から1位指名の入団拒否が起こっていたのだ。その他の11名は全員プロ入りを果たしている。
栄えある1位指名選手の中で最も活躍したのは巨人の堀内恒夫選手だ。1年目から16勝2敗の成績を残し最優秀防御率、最高勝率を獲得。さらには、新人王を受賞するなど高卒1年目とは思えない活躍をみせた。18年間で203勝をマークし巨人のレジェンドとしても知られている。現役引退後は巨人の監督も務めるなどの実績を残し野球殿堂入りも果たした。
また、「ミスターブレーブス」の異名をとった長池徳二選手(現:長池徳士)も第1回ドラフトで1位指名された選手の一人だ。1979年に現役を引退するまでに3度の本塁打王、打点王を獲得。MVPも2度受賞したレジェンドでもある。

【第1回ドラフト:各球団1位指名選手】
巨人:堀内恒夫選手(甲府商業高)
中日:豊永隆盛選手(八代第一高)
阪神:石床幹雄選手(土庄高)
大洋:岡正光選手(保原高)
広島:佐野真樹夫選手(専修大)
サンケイ:河本和昭選手(広陵高)※入団拒否
南海:牧憲二郎選手(高鍋高)
東映:森安敏明選手(関西高)
西鉄:浜村孝選手(高知商業高)
阪急:長池徳二選手(法政大)
東京:大塚弥寿男選手(早稲田大)
近鉄:田端謙二郎選手(電電九州)

※南海は現在の福岡ソフトバンクホークス
※東京は現在の千葉ロッテマリーンズ

2位指名から2人の名プレーヤーが!

1位指名からは堀内選手、長池選手という名プレーヤが誕生した第1回ドラフト会議。2位指名にも1位指名と同様に名プレーヤーが誕生している。
阪神タイガースから2位指名を受けた藤田平選手(市立和歌山商業高)がその一人だ。藤田選手は市立和歌山商業高3年時、春のセンバツ決勝で平松選手と対戦。
敗れたものの準優勝の実績をひっさげて阪神に入団。2年目から遊撃手のレギュラーを奪い阪神の生え抜き選手としては初の2000本安打達成者にもなった。
近鉄の2位で鈴木啓示選手(育英高)が指名された。鈴木選手は近鉄一筋20年で317勝を挙げた名投手でもある。監督としては優勝を果たせなかったが球団史に残る名選手となった。
2位指名から2人の名球会有資格者が誕生したのである。

中位・下位指名からも野球史に名を残す選手がが誕生!

毎年のドラフトでは下位指名からの掘り出し物が多く見られる。例えば、イチロー選手(マーリンズ)、青木宣親選手(アストロズ)といったメジャーリーガーもドラフト4位だ。
この年、巨人が3位で指名したのは江藤省三選手(慶応義塾大)だった。1964年、1965年と2年連続で首位打者を獲得していた江藤慎一選手(中日)の実弟ということもあり注目度は高かった。巨人、中日で11年間の現役生活を送ったものの464試合の出場にとどまり、プロでの実績は目立たない。しかし、引退後に指導者として活躍し母校の慶應義塾大学でも監督を務めている。
また、広島カープが4位で指名したのは水谷実雄選手(宮崎商業高)だ。投手として入団したものの、打撃を認められ野手に転向。広島、阪急でプレーを行い通算1522安打を記録した。また、1978年には首位打者、1983年には打点王を獲得している。引退後もコーチとして6球団で指導歴がある名選手だ。

入団拒否した選手には後の大物も!

当時は、2017年現在のドラフトのように入念な下調べを行えていたわけではなく、入団拒否も数多く見られている。拒否を行った選手には後の名プレーヤーも数多く含まれていた。
中日4位の平松政次選手(岡山東商業高)、サンケイ9位の島谷金二選手(四国電力)、西鉄4位の江本孟紀選手(高知商業高)、谷沢健一選手(習志野高)らが指名されたものの入団は果たさなかった。
後に平松選手は大洋、江本選手は東映、谷沢選手は中日へと入団することになる。また、島谷選手はこの年のサンケイ、東映、東京と3度の拒否をした上で1968年のドラフトで中日へ入団。ドラフトにおいて4度の指名を受けたのは藤沢公也選手の5回に次ぐ2番目の記でもある。
西鉄ライオンズは16名指名したにも関わらず、13名に入団拒否をされ3名しか入団に至らなかった。このように、入団拒否が当たり前の時代でもあったために30名まで指名が可能であったとも言えるだろう。
現在は、下調べを行っていることもあり、当時に比べると入団拒否の数は減っている。2016年のドラフトでも山口裕次郎選手が日本ハムの指名を断ったケースのみである。
今後も、入団拒否の数が増えることはなさそうだ。
1965年の第1回ドラフトから2016年ドラフトまでに、指名拒否、大物の一本釣り、複数球団による指名重複からの抽選と数多くのドラマが生み出されている。今後、どのようなドラマが生まれるのだろうか。アマチュア選手にとって夢への第一歩となるドラフト会議にこれからも要注目だ。

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