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今後も目が離せない大谷翔平選手のこれまで

2017 8/3 12:07cut
野球ボール,グローブ
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春のセンバツで全国にその名を轟かす

2017年現在、日本プロ野球界で最も注目されている男と言えるのが、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手だ。
2016年シーズンはプロ野球史上初の投手、指名打者と2部門でのベストナインも獲得。第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は故障のために辞退したものの、メジャーリーグ各球団からも注目を浴びている存在だ。その大谷選手はプロ入り前の花巻東高校時代からひときわ目立っていた。
菊池雄星選手(西武)の母校でもある花巻東高校出身の大谷選手。その名が全国に轟いたのは2011年夏の選手権だ。2年生ながら背番号「1」をつけ出場した大谷選手。
故障もあり先発せず4回途中からマウンドに登ったものの、帝京高校に7-8で敗れている。しかし、この試合で駒大苫小牧高校・田中将大選手(ヤンキース)以来となる2年生における150キロをマークし大器の片鱗を見せた。
リベンジを賭けて臨んだ翌春のセンバツでは、1回戦で優勝候補の大阪桐蔭高校と対戦。相手エースの藤浪晋太郎選手(現阪神)から本塁打を放ったものの9失点(自責5)で敗戦。与四死球11と制球が定まらなかったことが敗因となった。
最後の夏は岩手県予選で敗退するも160キロをマーク。夏の選手権終了後には日本代表として、世界選手権に出場し4番を務めた。 そう、大谷選手は高校時代から日本の4番を務めていたのだ。

メジャー宣言から日本ハムの1位指名

2012年オドラフト会議では、甲子園で春夏連覇を達成した藤浪選手、そして夏の選手権に出場しなかったものの、予選で160キロをマークした大谷選手は高校生の目玉となっていた。両選手とも順当にプロ志望届を提出し何球団が競合するのかに注目が集まっていた。
大谷選手には日本だけでなくメジャーリーグの複数球団も注目し、実際に面談まで行っている。そして、ドラフト直前に花巻東高校の先輩でもある菊池選手同様にメジャー志望を打ち出した。会見では「マイナーリーグからのスタートだと思うが、若いうちに挑戦をしたい。プロ野球にもあこがれはあるがメジャーリーグの方が強い」といった趣旨の発言を行っている。
このメジャー表明があったものの日本ハムは指名を行うことを宣言。2011年のドラフト会議で1位に東海大学の菅野智之選手(現巨人)を指名。入団拒否をされているにも関わらず強行でメジャー志望の大谷選手へ入札することを明らかにしたのだ。
注目のドラフト会議では藤浪選手、亜細亜大学の東浜巨選手が人気となり11球団の入札が終わり大谷選手への入札はなかった。最後の入札球団である日本ハムが大谷選手を指名。会場からは大きな歓声が上がった。
しかし、日本ハムはメジャー志望の大谷選手を入団に導く険しい道が待っていた。

二刀流としての日本ハム入団

2012年のドラフト会議で日本ハムから1位指名された大谷選手。指名直後の会見では「メジャー挑戦の発表が遅くなって申し訳なかった。そのなかで日本ハムさんから評価していただいたことはありがたい。だけど、アメリカでやりたい気持ちは変わらない」と発言。
日本ハムは前年1位指名しながらも入団拒否された菅野選手に続き、2年連続での1位指名選手が入団しない事態になることも予想された。その後、日本ハムと大谷選手の面談が続き、徐々に気持ちが日本ハム入団へと変わっていく。担当スカウトだけでなく栗山英樹監督も面談に同席するなど球団の熱意は確実に伝わっていた。
また、日本ハムが作成した資料「大谷翔平君 夢への道しるべ?日本スポーツ界における若年期海外進出の考察?」は球団ホームページで公開され、ビジネスマンの間でも話題になった。
入団に向けた面談の中で細かなやり取りが交わされ、ついに大谷選手は日本ハムへの入団を発表。背番号は日本ハムが誇るエース・ダルビッシュ有選手(レンジャーズ)の「11」と発表された。同時に日本プロ野球界では例を見ない投手・野手の「二刀流」で育成されることも明らかになった。

「投手大谷」としての起用法

二刀流としてプレーすることになった大谷選手。投手としてのデビューは1年目の5月にやってきた。この試合では5回2失点、勝ち負け付かず、奪三振2、与四死球3と上々のデビューを飾る。2戦目で5回3失点の投球を見せ初勝利を飾ると、その後はローテーション投手として活躍し3勝0敗、防御率4.23の成績で1年目を終える。無敗だったものの61.2回を投げ33個と与四球は多く制球面に課題が残った。
2年目(2014年)は開幕からローテーションに入ると自身7連勝を記録。年間を通じて11勝をマークし155.1回と規定投球回にも到達し防御率2.61をマークした。チームの先輩でもあるダルビッシュ選手と同じく、2年目で二ケタ勝利を達成しチームのエース格へと上り詰める。また、この年のオールスターゲームでは162キロをマークし、潜在能力の高さを発揮した。
3年目(2015年)は開幕投手を任され白星発進し開幕7連勝。圧倒的な投球を披露し、15勝(5敗)、防御率2.24で最多勝、最高勝率、最優秀防御率のタイトルを獲得した。2016年シーズンは故障がありながらも10勝をマークし、3年連続で二ケタ勝利を達成した。
圧倒的な成績を残しながらも、野手としての起用があるために各球団のエースのようなフルシーズン、中6日でローテーションを守り切ったことはない。野手としての貢献度は高いが、エースとしての投球を見せて欲しいというファンの声もあり、今後の起用法には注目が集まる。

「野手大谷」としての活躍

大谷選手のプロ初出場は「投手大谷」ではなく「野手大谷」としてだった。入団1年目の開幕戦で8番右翼としてスタメンに名を連ねると、2打席目に二塁打を放ちプロ初安打を達成。続く第3打席では適時打を放ちプロ初戦からマルチ安打を記録した。以降も投手起用との兼ね合いを見ながら試合に出場し、77試合に出場。打率.238、3本塁打、20打点の成績を残している。
2年目(2014年)にはベーブ・ルース以来となる二ケタ勝利、二ケタ本塁打の偉業を達成。入団当時に囁かれた「プロをなめるな」という言葉も次第に薄れていった。
圧巻だったのは4年目となった2016年シーズンだ。1番投手で初球本塁打を放つなど22本塁打を記録。規定打席に到達していないものの打率.322、22本塁打、67打点の成績を残し指名打者としてベストナインに輝いた。
圧倒的な飛距離、逆方向に打てる技術はまさにメジャー級。メジャーリーグへ挑戦する際、「投手大谷」と「野手大谷」どちらで勝負するのか。あるいは両方なのか。今後も大谷選手から目が離せない。