【球史に名を残した偉人達】選手兼任から社会人まで活躍・野村克也監督 | SPAIA

【球史に名を残した偉人達】選手兼任から社会人まで活躍・野村克也監督


選手兼任だった南海監督時代

野村克也監督として指揮を初めて奮ったのは1970年の南海ホークス時代です。1954年に南海へ入団した野村監督は1961年から8年連続本塁打王を獲得。1965年には三冠王になり4番捕手として活躍していました。その重責に加え1970年から監督も兼任するようになったのです。これは、まだ野村監督が35歳のときでした。
選手兼任監督として1977年まで南海を率いた野村監督は1973年に初めてリーグ優勝を果たします。日本シリーズでは巨人と対戦して1勝4敗で敗れますが、選手として敢闘賞を受賞しました。これが、南海監督時代に出場した唯一の日本シリーズです。
1977年オフに南海からロッテへ移籍したことに伴い野村監督は南海の監督を退任しています。選手兼任として8年間で優勝1回という成績でした。

『ID野球』を広めたヤクルト監督時代

1980年に現役を引退以後は監督の要請がありながらも現場復帰を行わなかった野村監督ですが、1990年にヤクルトの監督へ就任します。当時は現在のようにインターネットも発達していなく野球に関するデータも少なかった時代でした。その中で野村監督は『ID野球』という言葉を掲げデータ野球を行うようにチームを指導します。IDとはImpotant Dateという造語ですがその後も野村監督の野球を象徴する際に広く使用されるようになりました。
ミーティングが長いことにも特徴があります。まるで学校のようにホワイトボードを使って野村監督が講義をするのです。それによって選手はノートを取り理解を深めることができました。
ID野球の成果が出たのは就任3年目となる1992年のことです。この年にヤクルト監督就任後初の優勝を飾り日本シリーズに進出。西武に敗れ日本一は逃したものの大きな足跡を残したのです。翌1993年の日本シリーズで西武にリベンジを果たします。1992年、1993年の日本シリーズは2年1セットと感じるファンも多く未だに名勝負として語り継がれるほどです。
1995年、1997年にも日本一となり9年間のヤクルト監督時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。ヤクルトの黄金時代を築きました。惜しまれつつも1998年に監督を退きます。

結果を出すことができなかった阪神監督時代

1998年にヤクルトの監督を退任した翌年の1999年から野村監督は同一リーグの阪神監督に就任します。当時の阪神は下位に低迷しており1985年の日本一以来、優勝からも遠ざかっていました。
その再建に野村監督の手腕が期待されたのです。 就任一年目の1999年から3年間阪神の指揮を取りますが最下位から抜けることはできませんでした。しかし、その間に野村監督は様々な取り組みを行っています。
遠山奬志選手、葛西稔選手を一塁守備につかせながら継投させる『遠山・葛西スペシャル』、機動力に優れた7選手を『F1セブン』と名付けアピールすることなどを取り組んできました。
しかし、成績には結びつかなかったのです。野村監督は退任する際にオーナーに対し「阪神を再建できるのは熱血型の西本さんか星野だ」と語り自身とはタイプの違う監督を勧め翌年からは星野仙一監督が就任し2年後に優勝を飾っています。

多くのプロ入り選手を率いたシダックス監督時代

野村監督は阪神の監督を2001年に退任後、2002年秋から社会人野球シダックスの監督に就任します。チームを率いた直後の2003年には都市対抗野球で準優勝を達成。わずか1年で結果を残すことに成功します。
当時のシダックスには野間口貴彦選手(元巨人)、武田勝選手(元日本ハム)、小山圭司選手(元日本ハム)、中村真人選手(元楽天)ら後にプロ入りする選手がおりその選手たちをまとめ上げたのが野村監督だったのです。また、シダックスが都市対抗野球決勝で敗れた三菱ふそう川崎には後に楽天でもプレーする渡辺直人選手が所属していました。
翌2004年には都市対抗野球でベスト8、日本選手権ベスト4とシダックスを率いた野村監督は次々に実績を残していきます。しかし、2006年から当時創設2年目の新規球団であった楽天の監督に就任することが決まりシダックスの監督を退任することになったのです。

有終の美を飾った楽天監督時代

2005年に新規参入した楽天の2代目監督として2006年に野村監督は招かれました。創設初年度となった前年は38勝97敗1分、勝率.281と低迷していたチームをどのように立て直すのかに注目が集まります。
就任1年目は開幕から5連敗スタートとなるなど苦しい立ち上がりでしたが、前年の37勝から10勝の上積みを行った47勝の成績を残します。結果は最下位ですが大きな進歩となりました。
野村監督の功績はこの年のドラフトで現れます。まず、高校生ドラフトで田中将大選手を獲得。大学生社会人ドラフトで永井怜選手、嶋基宏選手、渡辺直人選手を指名。育成ドラフトではシダックス当時の教え子である中村真人選手を補強します。後に楽天の土台となるドラフト指名を初年度から行うことに成功したのです。
2007年は4位、2008年は5位と最下位を免れたものの、上位進出は果たすことができなかった野村監督。その集大成は2009年に訪れました。 2009年は開幕戦から4連勝を果たし一時は首位に立つなど、4月は貯金4で5月に突入しました。以降、負けが込み下位に低迷しますが8月から快進撃を続けたのです。8月は17勝7敗、9月は16勝10敗と大きく勝ち越し球団創設以来初めてのクライマックスシリーズに進出します。
この快進撃を支えたのが岩隈久志選手、田中選手、永井選手の先発三本柱です。田中選手、永井選手は自身がドラフト時に獲得した選手でもありました。また、渡辺選手、嶋選手、中村選手も2009年に多くの試合で活躍しており「2006年ドラフト組」は3年目にして開花したのです。
クライマックスシリーズではファイナルステージで日本ハムに敗れたものの、楽天の歴史に残る一年となりました。札幌ドームで行われたクライマックスシリーズ第4戦が野村監督としての最終采配となりましたが試合終了後に両チームの選手から胴上げをされるなど華々しくグラウンドを去っていきました。 日本ハムにはヤクルト時代のレギュラーである稲葉篤紀選手、シダックス時代の教え子である武田選手らがいたことも大きいかもしれません。チームは変わっても愛されていたのです。
楽天の監督退任後は高齢ということもあり現場復帰はしていませんが、テレビ解説などには度々登場しており元気な姿をファンに見せています。また、監督時代に選手だった教え子たちが続々と監督、コーチとしてデビューしており、今後は『野村門下生』の活躍に期待がかかります。

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