「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

歴代ドラフト1位の選手〈3〉オリックスバファローズ編

2017 2/9 18:26
後藤駿太,ⒸSPAIA
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸSPAIA

プロ野球のドラフト会議といえば球団の戦力となる新人獲得の大きなチャンスだ。オリックスバファローズには過去にどんな選手がドラフト1位指名されていたのだろうか。「オリックスバファローズ」の2005~2016年限定で、話題になったドラフト1位選手を5人紹介する。

2010年ドラフト1位・後藤駿太選手

後藤俊太選手は現在のオリックス・バファローズの8番。登録名「俊太」でおなじみの外野手だ。
高校3年時に県大会で打率4割超えを記録、チームの甲子園出場に貢献した。 高校通算18本のホームランを打ち、プレイスタイルがイチロー選手に似ていることから「上州のイチロー」「群馬のイチロー」と呼ばれていた。
2010年のドラフト会議でオリックス・バファローズからドラフト1位指名を受けプロ野球入りする。 6年連続で開幕1軍入りを果たしている俊太選手、17年も連続記録を伸ばすことができるだろうか。

2012年ドラフト1位・松葉貴大選手

松葉貴大選手は現在のオリックス・バファローズで背番号11番、最速149kmのストレートに加え、スライダー、カーブ、フォークを使い分ける投手だ。
高校3年時に春の甲子園でベスト4へ進出するも、夏は県大会予選で敗北。大阪体育大学に進学する。その頃に野手から投手へと転身、チームのエース格としてリーグ通算31勝、リーグMVPと最優秀投手賞を共に2回受賞するピッチャーに成長した。
2012年のドラフトで1位指名を受けオリックス・バファローズに入団、日本代表選手にも度々選出され、16年にはプロ初完投勝利を挙げた。17年の活躍も期待される。

2013年ドラフト1位・吉田一将選手

吉田一将選手は背番号14番。オリックス・バファローズの投手陣の一員として活躍している投手だ。
高校時代は故障で甲子園登板を逃し、日本大学ではリハビリとトレーニングで故障体質を克服、卒業後はJR東日本の硬式野球部に所属す。長身を生かしたオーバースローで才能が完全開花、久慈賞と若獅子賞の同時受賞を果たし、社会人2年目には第42回JABA四国大会でチーム初優勝、MVPを獲得した。
2013年のドラフト会議では即戦力としてオリックス・バファローズが1位指名、15年から中継ぎに転向し、16年に1軍初セーブを挙げている。

2014年ドラフト1位山崎福也選手

山崎福也選手はオリックス・バファローズの背番号17番。元プロ野球選手の山崎章弘さんを父にもつ投手だ。
高校2年時から夏の甲子園に出場、3年春は準優勝だったが、夏は西東京大会で敗退、明治大学へ進学する。 大学2年時から先発ローテーション入りし、3年時には東京六大学野球リーグのベストナインへ2期連続で選出されるなど活躍した。
2014年のドラフト会議でオリックス・バファローズに1位指名され、15年早々に開幕1軍入りを果たす。 16年9月に左肩甲下筋を故障し登板抹消したものの、10月にはフェニックスリーグに合流した。復帰が期待される。

2016年ドラフト1位吉田正尚選手

吉田正尚選手はオリックス・バファローズの34番で、170cmと小柄ながらホームランを放つ長距離打者だ。
高校1年で甲子園に出場するも、2?3年時は県大会で敗退、青山学院大学へ進学する。進学後は東都大学の1部リーグでプレイ、1年の春から活躍、2年からは指名打者から外野手に転向している。日米大学野球選抜大会やハーレムベイスボールウィーク、ユニバーシアードの日本代表に選出された。
2015年のドラフト会議で1位指名を受けたオリックス・バファローズに入団する。 16年は開幕戦に1番・指名打者として1軍デビュー、1軍初安打を放った。怪我から復帰した8月に1軍公式戦のスタメンへ定着すると、その後4番打者へ起用されシーズン終了まで10本塁打を記録している。

まとめ

「オリックスバファローズ」時代のドラフト1位選手5名をまとめた。歴代のオリックス・バファローズには様々なドラフト1位選手がいたのだ。今後もオリックスバファローズの活躍を応援しよう。