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歴代ドラフト1位の選手〈1〉オリックスバファローズ編

2017 2/9 18:26
野茂英雄,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

プロ野球のドラフト会議といえば球団の戦力となる新人獲得の大きなチャンスだ。オリックスバファローズには過去にどんな選手がドラフト1位指名されていたのだろうか。「(大阪)近鉄バファローズ」の1962~2004年限定で話題になったドラフト1位の有名選手を5人紹介する。

1980年ドラフト1位・石本貴昭選手

石本貴昭選手は1980年に春・夏両方の甲子園で活躍、その年に近鉄バファローズからドラフト1位指名を受けた左投げ左打ちの投手だ。
高卒で近鉄バファローズに入団、プロ生活5年目の85年、得意の直球とスライダーでリリーフとして70試合登板し、19勝3敗7セーブ、防御率3.56、勝率.864の好記録をマークする。 86年は64試合に登板し、8勝32セーブでセーブ王に輝き、チームのパ・リーグ2位躍進へ貢献した。

1981年ドラフト1位金村義明選手

金村義明選手は報徳学園出身。高校3年時にピッチャーで4番打者として春・夏の甲子園へ連続出場し、夏の甲子園ではチームの優勝に貢献した。1981年に近鉄バファローズと阪急ブレーブスからドラフト1位指名を受け、抽選の結果バファローズに入団する。
入団後は投手から内野手へ転向し、86年に三塁の1軍レギュラーに成長、「いてまえ打線」の中心的存在として活躍した。「いてまえ大将」と呼ばれるほど豪快な性格だったそうだ。

1989年ドラフト1位・野茂英雄選手

野茂英雄選手はメジャーリーグで活躍した投手だ。社会人野球時代の1988年には日本代表としてソウルオリンピックに出場、銀メダルに貢献した。
89年のドラフト会議では近鉄バファローズを含む8球団から1位指名を受け、抽選の結果バファローズに入団した。 90年は最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率の投手四冠を独占、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝いた。 その後94年までバファローズに所属、95年からはドジャーズと契約しメジャーリーガーとして活躍していく。

1992年ドラフト1位・小池秀郎選手

小池秀郎選手はアジア大学時代に大学ナンバー1と注目された左投げ左打ちの投手だ。1990年にシーズン111奪三振を記録、大学選手権でチームを優勝に導く。
大学通算成績は算63試合登板28勝14敗、防御率1.45で、その年のドラフト会議では近鉄バファローズを含む8球団からドラフト1位指名を受ける。抽選でロッテが交渉権を得るが、小池秀郎選手は入団を拒否、社会人野球へと進む。 その後92年のドラフトで再び近鉄から1位指名を受け入団。97年にはパ・リーグの最多勝投手になった。

2000年ドラフト1位・山本省吾選手

山本省吾選手は2000年のドラフト1位で大阪近鉄バファローズに入団した左投げ左打ちの投手だ。全国中学校軟式野球大会に2回出場し中学3年時に優勝、高校2年時に甲子園準優勝、慶應義塾大学時には東京6大学野球連盟で優勝するなど輝かしい経歴を持っている。
山本省吾選手が活躍したのは近鉄がオリックス・バファローズになってからで、06年にプロ初セーブを達成、35試合に登板し防御率3.99を記録した。 07年はロングリリーフとして19試合に登板し防御率1.62、翌年はプロ初完投・初完封勝利を達成した。

まとめ

「大阪近鉄バファローズ」時代のドラフト1位選手5名をまとめた。今回紹介した以外にも沢山の優秀な選手たちが「大阪近鉄バファローズ」を支えていたのだ。